古里の偉人・曽国藩

 日が落ちてきた。先を急ぐ。

 湖南省出身の歴史上の偉人と言えば、真っ先に毛沢東や劉少奇が挙げられる。しかし、中国の近代史で忘れてはならないのが、婁底(湘郷)出身の曽国藩(1811~72年)だ。前出の「太平天国の乱」を実際に鎮圧したのは、曽国藩が率いた「湘軍」だった。

 曽国藩は、清朝末期の政治家で軍人。若くして官吏登用試験の科挙に合格した。その後、三つの地方(今の江蘇安徽省と江西省)を統括する両江総督(地方長官)に任じられる。さらに太平天国の乱鎮圧のため、古里の湖南で農民らによる義勇軍「湘軍」を組織。何度も苦境に陥るが、ついに勝利する。その功績により、地方長官としては最高位の直隷総督(北京などの担当)まで上りつめ、清朝末期の4大名臣の一人に数えられる。また、19世紀後半の洋務運動(近代化政策)の推進者としても知られる。曽国藩は、その清廉な人柄と強い精神力、適材適所の人材登用が今では高く評価されている。さらに、無類の家族思いでもあったという。

 曽国藩の旧居「富厚堂」は、全国重点文物保護対象に指定されている。建物部分の面積だけで1万平方、門前に広がるハス池を含めると約4万平方、ほぼ東京ドームの広さだ。中は私邸部分のほかに、書籍30万巻が収められていたという4階建ての蔵書楼が大半を占める。いずれもきれいに整備されていて、分かりやすい。歴史上の偉人の旧居だけに、次々と観光客も訪れていた。

 案内をしてくれた曽国藩研究会の劉建海主任は、曽国藩について、「その業績、思想、人格、学識とも比類のない立派な人物。多くの人が曽国藩を称えていて、郷土の誇りです」と胸を張った。「似たような人物はいますか」と聞くと、少し考え、1990年代に国民的人気があった朱鎔基元総理が語ったという言葉を紹介してくれた。朱元総理は同じ湖南省出身の指導者で、曽国藩に似た清廉な性格と果断な政治姿勢が評判だった。しかし、その彼はかつて、「私は曽国藩から多くのことを学んだが、曽国藩のまねはできないし、曽国藩にはなれない」と言ったという。朱元総理をして「まねできない」と言わせた偉大な政治家曽国藩。来たかいがあった。

 富厚堂のハス池の傍には、湘軍の本陣に掲げられていた深紅の大軍旗(レプリカ)が、そよ風にゆっくりなびいていた。