午前5時過ぎ。空が次第に明るくなってきた。遠くの雪峰山脈まで綿菓子のような雲海がたなびく。ところどころ山の頂上が雲のじゅうたんから顔を出す。まさしく水墨画の世界だ。
東側の山陰から朝日がもれ出した。同時に、眼下には鏡のような棚田が反射して輝き、空の雲を映し出す。一枚一枚、細かくていねいに耕された水田には、もうしっかり水が張られ、田植えを待つばかりだ。
「棚田王国」と呼ばれる湖南省でも特に有名なのが、ここ「紫鵲界」の棚田だ。同地区では、標高500~1000㍍、斜度約25~50度の斜面を利用し、総面積約2万ムー(約1400㌶、1ムーは約0・067㌶)の棚田がすき間なく広がる。
紫鵲界地区の山々には年間100日以上も雨が降り、保水も十分だ。こうした自然の恵みを生かし、すでに秦・漢の時代からミャオ(苗)族やヤオ(瑶)族、トン(侗)族などにより棚田の耕作が始まった。2000年以上の長い年月をかけてかんがいされた棚田は、等高線に沿って複雑に入り組んだ斜面の隅々にまで及ぶ。
地元にこういう笑い話がある。ある夕方、一人の農民が野良仕事を終え、ひと休みしようとすげ笠を取ってあぜ道に座った。一服し、この日耕した棚田を数え始めたところ、どうも1枚足りない。さてどこだったかと、おもむろにすげ笠を取って立ち上がろうとしたところ、その下から小さな棚田が現れた――これは紫鵲界の棚田がいかに細かく隅々まで耕されているかを示すエピソードだ。
その「棚田王国」も全てバラ色というわけではない。他の農村と同じように、農業収入だけでは生活は苦しく、政府から「貧困地域」にも指定されている。また、若い世代が都市に出稼ぎに出るため、労働人口の減少というやっかいな問題も抱える。その対策として、この地域では、大都市の企業などと連携して、棚田での田植えや収穫などの農村体験活動を企画したり、キャンプ場を設けたり、観光と結び付けるなど、収益アップを目指し懸命に貧困脱却プロジェクトに取り組んでいる。
地元出身のガイド羅娉静さん(28)は、Uターン組の一人だ。高校卒業後、省都の長沙で観光ガイドを3年務めた。だが、「やっぱり古里が一番好き」と紫鵲界に戻ってきた。にこやかに歯切れよく説明する彼女に紫鵲界の明るい将来を感じ、思わずガンバレ!と心の中でエールを送った。
