
湖南でハイブリッド水稲の成長を確認する袁氏(『邵陽日報』)
1982年秋にフィリピンの首都マニラで開かれた国際水稲技術シンポジウムで、当時国際稲研究所所長で元インド農業大臣のスワミナサン博士は袁隆平氏を議長席に案内し、国際社会へ向けて「袁氏の成功は人類に福音をもたらしました」と丁重に紹介した。会場の大モニターには袁氏の巨大な写真と共に「ハイブリッド水稲(1)の父袁隆平」という英文が表示され、ハイブリッド水稲王国の豊作の扉を開き、人類のために科学技術を使って飢餓に打ち勝つ効果的な方法を発見したこの中国人科学者を表彰した。
現在88歳の袁氏は高齢を押してなお田畑を駆け回って科学研究に打ち込み、飽くなき挑戦を続け、人々に驚きと感動を与えている。
世界から飢えをなくす夢
30年生まれの袁氏は若いころから農業科学研究の仕事に従事していた。60年代初期に中国は空前の飢餓に見舞われ、人々がひたすら飢えを忍ぶ様子は袁氏に大きな衝撃を与えた。そこで袁氏は生産量の高い水稲を栽培して、世界の人々の胃を満たす志を立てたのだ。
袁氏は種子の改良から着手し、照り付ける日差しの下で、重い泥をかき分け腰を曲げながら中国各地で交雑に適した野生の水稲を探し回った。65年に苦心して見つけた6株の水稲の苗を実験室に持ち帰り、交雑試験を始めた。当時袁氏は、「ハイブリッド水稲」は技術的な難題でまだ世界中の誰も実現したことがないのだから余計な仕事をするなという指摘を受けた。それに袁氏はこう答えた。「外国で成功していないとしても、中国人も成功できないとは限らない」
8年間何度も繰り返した試験の中で袁氏は技術的な難関を一つずつ乗り越え、74年についに初代「ハイブリッド水稲」を栽培した。翌年、「ハイブリッド水稲」は湖南で実験栽培に成功した。その次の年には中国で栽培が大々的に始まり、中国大陸全土で208万ムー(1ムーは約0・067㌶)に植えられ、水稲の生産量が20%以上増えた。
袁氏はここで歩みを止めず、96年に「スーパーハイブリッド水稲」栽培を指揮した。超高収量の水稲育種は多くの国々や研究機関がここ20年以上取り組んできた重要なプロジェクトだ。日本はそれらに先駆けて81年に超高収量の水稲育種を展開し、15年以内に水稲の生産量を50%高めるという計画を出した。国際稲研究所は89年に「スーパー水稲」育種計画をスタートし、2000年までに生産量が当時の最高品種より20%から25%高いスーパー水稲を栽培することを定めた。しかしそれらの計画は未だ実現されていない。
「スーパーハイブリッド水稲」計画を実現するため、袁氏は自身のチームを率いて多くの労力を払い、汗を流した。袁氏をよく知っている人々の印象において彼はいつも慌ただしく動き回り、腰を曲げて田んぼに入っている。「家にいないときは実験田にいます。実験田にいなければ実験田に向かっている最中なのでしょう」と袁氏は話す。
努力は必ず報われる。00年に初代「スーパーハイブリッド水稲」は1ムー当たり700㌔生産するという目標を達成した。4年後に生産量は800㌔に達し、それからわずか1年後にはさらに900㌔に達した。そして16年11月19日に広東省梅州市から良い知らせが届いた。二期作の「スーパーハイブリッド水稲」の生産量が1ムー当たり1537・78㌔に達し、世界記録を更新したのだ。
だが袁氏はこれにも満足しなかった。「多くの人々は『スーパー』という言葉を聞いても生産量が多いぐらいしか思いませんが、生活水準が向上した現在、人々はお腹を満たすだけでは満足せず、さらにおいしさを求めています。ハイブリッド水稲も生産量だけではなく、質も向上させる必要があります。現在のスーパーハイブリッド水稲の品質は非常に優れており、日本の米・食味鑑定士協会の会長が中国のスーパーハイブリッド水稲のお米を食べましたが、『コシヒカリ』に引けを取らない食感だと言っていました」
塩土壌で育つイネ開発
中国でも88歳の「米寿」を祝う。17年9月、88歳の「米寿」の誕生日を青島海水稲研究発展センターで迎えた袁氏はゴム靴を履いて「海水稲」研究開発チームと共に田んぼで実験をしていた。
袁氏の家には中国の塩類・アルカリ土壌分布地図が張ってある。中国の内陸部には15億ムー近くの塩類・アルカリ土壌地があり、もしその土地の環境に耐えられる「海水稲」の普及に成功すれば、1ムー当たり200から300㌔の生産量で計算すると中国大陸のコメの生産量は500億㌔の増産が実現し、約2億人の食料をまかなうことができる。もし世界143億ムーの塩類・アルカリ土壌地に「海水稲」を植えたとすれば、その結果は言うまでもない。
17年9月28日、袁氏が指揮する「海水稲」は1ムー当たり最高で620・95㌔の生産量となり、「自分の予想をはるかに超えた」と袁氏は喜んで答えた。
世界中の若者に夢託す
袁氏はかつてこのような夢を見たことがある。「夢の中でわれわれの超高収量のハイブリッド水稲がモロコシより高く伸び、稲穂がほうきのように広がり、その一粒が落花生ぐらい大きくなった姿を見て、とてもうれしくなりました。そしてイネの下に座って涼を取ったのです。それで私はこの夢を『禾下乗涼(稲の下で涼をとる)夢』と名付けました」
この夢が現実になりつつあることは袁氏をより一層喜ばせている。17年10月16日、中国科学院亜熱帯農業生態研究所は十数年の研究を経て超高収量の「巨大水稲」の栽培に成功したと発表した。袁氏は人間の身長以上の高さまで成長する「巨大水稲」を次のように評価している。「『巨大水稲』は非常に希少価値がある水稲の新品種であり、収穫をより向上させることが期待できます」
袁氏はハイブリッド水稲事業の創始者であり、「ハイブリッド水稲学」の創設者でもある。科学研究チームを率いて幾度も実績を挙げると同時に、若い科学者に各分野からこの「稲王」に向かって進むよう奨励している。
17年10月14日に湖南省ハイブリッド水稲研究センターでタイ、エチオピア、パナマ、パキスタンなどの国々から来た21人の「海外留学生」が袁氏から卒業証書を授与された。パナマ人学生のソーサ・エドワードさんは「あらゆる授業で多くのことを学べた。帰国したら学んだ知識を故郷の農家に伝えたい」と喜んで話した。
00年から受け入れを始めた袁氏の「海外留学生」は6000人を超える。彼らは世界各地に飛び去り、袁氏の「ハイブリッド水稲を進化させ、世界の人々を幸せにする」という大きな夢を実現させている。
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