よみがえる伝統の秘色磁器

袁舒=文

呉維春=写真

 仏教や禅の思想と共に、寧波の港からは中国文化の精華ともいえる高級磁器が海外へ渡った。大宰府遺跡からは、唐・五代の越窯青磁器や唐代越窯の透かし彫りの器や香炉が多く出土している。

 越窯は中国で最も有名な窯元の一つである。世界で最初に完成度の高い磁器の焼成に成功したため、越窯の青磁は「母親磁」(母なる磁器)と呼ばれている。

 寧波市慈渓市南東部の上林湖一帯では、後漢時代に越窯青磁の焼成が始り、隋や唐の時代を経て、南宋初期まで磁器の製造が続いた。上林湖の越窯は1000年もの間、中国のみならず世界の磁器製造の最高レベルを代表している。

 中国の陶磁器の中でも最も神秘的なのが越窯の「秘色磁」だ。その神秘には皇帝が関係しているという伝説があり、唐の時代から代々、「秘色磁」は最高級の青磁の代名詞とされてきたが、誰も実際に目にしたことはなかった。南宋初期、詩人・趙徳麟の『侯鯖録』には、「この秘色磁は、銭氏が権力を握っていた頃に越州で作られ、皇帝に献上され、臣下の使用は許されなかった。ゆえに『秘色磁』と呼ばれた」と記載されている。

 

秘色磁の浄瓶(水を入れる瓶)

 1980年代末、陝西省の法門寺で出土したことにより、ついに秘色磁はその神秘のベールを脱いだ。さらに上林湖の後司嶴遺跡の発掘によって、秘色磁は晩唐期の上林湖越窯で作られた傑作で、また薄釉青磁のトップレベルを代表し、越窯さらには中国の青磁の最高峰であることも証明された。

 「無中生水」という言葉で法門寺から出土した秘色磁の不思議さを言い表せる。光に照らされた皿の内側が明るく透き通り、何も入っていない皿なのに、あたかも澄んだ水をたたえているかのようで、まさしく「無から有が生じ、水が盛られているようだ」と言える。

 慈渓市の上越陶芸研究所の施珍所長(49)は、越後青磁の焼成技術という無形文化遺産の伝承者だ。景徳鎮や韓国で陶芸の修業をした施所長は、古里の慈渓に戻ってきた。北宋末期に焼成が途絶えて以来、一度は姿を消した越窯青磁だが、現在では施所長を中心とした陶芸家たちが陶土の採取や調合など一からこの美しい青色を復元しようと努力している。

 「越窯青磁は優雅で古風です。その単色の釉薬をベースに、現代人が一目で好むような青磁作品を作ることが、私の目標です」と語る施所長は、伝統的な青磁器の形と現代的な陶磁器の彩色と上絵を巧みに結び付け、昔ながらの越窯青磁を現代に生き生きとよみがえらせた。

 

無形文化遺産に指定されている越窯青磁の伝承者・施珍さん。窯で焼く前の磁器に文様を入れている