
春節中の静かな西単。モニターには「マスクを必ず着用」と表示されている
今年の春節は、例年通り新作中国映画を見て廟会を回り、休業しているレストランなどの前で長期休暇の不便さを感じていたはずだった。まさか映画が公開中止になり、映画館が一時閉館し、春節が終わっても鍵をかけたままの店が多い状況になるとは、春節が始まった直後は予想もしていなかった。
春節休暇が延長されても特にすることもなく、ずっと家にこもっているのも不健康的なので、繁華街はどうなっているのかと西単や王府井、国貿などを見て回った。もちろん人がいないことは分かっていたが、静かな雰囲気の中にも人々の生活の気配を感じられるのがかえって不気味だった。ひっそりとしたデパートに響く春節特有のめでたいBGMが虚しさに拍車をかけていた。開店休業状態の各店舗に無駄を感じたが、このような状態でも経済が完全に停滞したわけではないことが分かり、マスクをしながら持ち場に着いている店員や警備員には若干励まされた。
しかし街が活気を取り戻すのはいつになるのか、今のところ検討もつかない。中国国内で開催予定だった各種イベントも軒並み中止・延期になった。また、日本に帰国した社員が中国に戻ってこられる目処も立っていない。春節が終わり、職場に復帰した今でも道に飾られている真っ赤な提灯などを見ると、状況が変化していないことを実感する。だが緊張感がある日常が続いているが、街全体が感染予防に注意を払っているからこそ、北京では普段のように出社し、買い物に行き、そして安心した生活が送れるのだと思う。
感染拡大の報道が増える中で、一時帰国を考えたこともないわけではない。だがとっくに北京を活動拠点にしていることや、日本より厳格に行われている感染予防措置を考慮すると、帰った方がより大変だと判断して北京に残った。そして日本で感染拡大の傾向が進んでいる今、「塞翁が馬」の故事を思い出している。
今回の中国の感染拡大の支援として、日本から中国に届けられた物資に「山川異域 風月同天」と書かれていたことが両国で話題になった。約1300年前に日本が中国に贈った「国は違えど天下は同じ」という意味の詩の一部であり、その歴史的教養に満ちた好意は中国側への励ましになっただけではなく、災害による両国の張り詰めた雰囲気を和らげてくれた。だが中国へ物資を送っていた時の日本は、「国は違えど天下は同じ」だということをあまり意識していなかったのではないだろうか。
中国で感染拡大が深刻化する中、日本では各地で「頑張れ武漢」の声が上がり、武漢や中国のために多くの人間が行動を起こした。しかしその当時、多くの日本人は感染拡大を対岸の火事だと思って気にかけていただろう。自分も日本なら大丈夫だと思って一時帰国を考えていたし、日本の家族や友人からも心配や応援の言葉をもらった。だがウイルスに国境はなく、今は中国が日本を心配している。
日中の長きにわたる友情や、日本の災害時に中国がしてくれた支援への恩返しを表す「頑張れ武漢」という言葉が、まさか1カ月余りで「頑張れ日本」という声援になって中国から返ってくるとは誰も思わなかったのではないか。
「山川異域 風月同天」の言葉の意味がますます重くなっている今、各人が当事者意識を持って情報を発信し、日中両国ひいては世界の現状を伝え合うことが重要だ。(文・写真=佐藤祐介)