1月下旬、新型コロナウイルス感染症が湖北省武漢市で爆発的な広がりをみせた。現地の多くの患者をなるべく早く救うため、全国各省・直轄市・自治区の医療隊は危険をものともせず、相次いで武漢に支援に駆け付けた。大連市第四人民病院の医師馬楠さんもその一人だった。
雷神山病院にいる馬楠さん
武漢に行くママから離れたがらない息子さん
2月8日、元宵節の日、馬楠さんの所属する病院は、医療スタッフ全員に第三陣大連医療隊への参加を呼び掛けた。馬さんは自分も武漢に行こうと思うと家族に打ち明けた。ママが武漢に行ってしまうと聞いて、息子は泣き出した。彼はウイルスがとても危険で、ママが感染するのではないかと恐れたのだ。見送りの途中、息子は馬さんを抱きしめ、「ママ、絶対に帰って来てよ!」と言った。今回は大連の十数の病院から511人の医療スタッフが集まり、4機の飛行機に分乗して武漢へと向かった。

初めての夜間勤務の時、段ボール箱が食卓、椅子がベッドとなった
翌日早朝、馬さんと「戦友たち」は武漢に到着し、重症患者を収容する雷神山病院へ配属された。雷神山病院は完成したばかりで、計1400床余りあり、馬さんと4人の医師、8人の看護士がそのうちの40ベッドを担当することとなった。
事務室で記録をつくる馬楠さん
2月12日に病院は正式に診察を開始した。その夜、馬さんの病棟に34人の患者が収容された。初めてのコンビで、さらにたくさんの新しい状況が発生したため、みんな混乱を覚えたものの、幸い仕事はすぐに順調に進むようになった。
隔離ゾーンの通路にいる馬楠さん
馬さんと仲間たちは、毎日日中勤務グループと夜間勤務グループに分かれ、日中勤務グループは朝7時20分にホテルを出発し、約30分で病院に到着、その後防護装備を身に着けて、夜間勤務グループとの引き継ぎを行い、午後4時半に次の夜間勤務グループに交替するまで働く。その間に一度出て来て昼ご飯を食べる。夜間勤務の場合、午後3時にホテルを出発し、病院に到着後、日中勤務グループとの引き継ぎを行い、翌日早朝まで働き続ける。馬さんは、「毎日ほぼ15~16時間仕事をします。途中で一休みしてもいいのですが、深く眠ることはできません」と語る。
隔離ゾーンの病室で患者と話す
馬さんの主な仕事は回診することで、患者の病状を観察し、記録するとともに、患者に対症治療を行い、呼吸困難を緩和するのを助けるというものだ。同時に彼女は患者とおしゃべりして、彼らの焦燥を和らげ、彼らが病気に立ち向かう自信をつける手助けをする。馬さんによると、彼女の担当している患者の中に鄧さんというおばさんがいて、すでに退職しており、夫が新型肺炎で亡くなったため、家族は30歳になる娘さんしかいない。鄧さんの病状は重くはないものの、心理的プレッシャーがとても大きく、いつも馬さんに危険がないかどうか聞いた。ある日の夜半、鄧さんは馬さんを呼び、2時間余りもしゃべった。鄧さんは「私は必ず生きなければ。さもないと娘が一人ぼっちになってしまう」と言った。鄧さんは2週間にわたる治療の後、治癒して退院する際、馬さんら医師に何度もお辞儀をして感謝したという。「このような患者さんはとても多いです」と馬さんは言う。
隔離ゾーンで李艷霞主任(中央)と共に
馬さんの病棟の主任で、雷神山病院遼寧医療隊専門家チームの李艷霞チーム長は、「感染症を前にした時、われわれ一人ひとりが一本の光であり、それが集まると暗闇を追い払う黎明となる」と言った。馬さんは、李主任は医療スタッフの心の声を代弁したのだと語る。
A13病棟の医師たちの集合写真
病棟に入る前、医療スタッフは厳格に規定にのっとって防護用品を身に付けなければならず、さらに互いにチェックし、しばしば30分もの時間がかかってしまう。「この厳格な防護のおかげで、今回われわれ医療スタッフは誰も感染しませんでした。初めてしっかりと防護服を身につけ、病棟に入る前、突然心に恐れが沸き起こり、その恐れを克服して病棟に入った時、私は『生死を恐れず』という言葉が単なるスローガンでなく、国や同胞のためにすべてを捧げるという信念であることを、身をもって感じました」と馬さんは語る。

夜間勤務の仲間たちの記念写真
馬さんの所属するグループは温かな人たちばかりで、医師のほとんどが70年代、80年代生まれ、看護師のほとんどが80年代、90年代生まれで、さまざまな地方の異なる病院から来ているにもかかわらず、みんな互いに気を配り、以心伝心で協力し、この闘いの中で固い友情を培った。

泊っているホテルで家族とビデオ通話をする
3月中旬から、武漢の新規患者数は1桁台にとどまるようになった。馬さんの病棟では3月28日に患者数がゼロとなり、その日に閉院した。この時までに、馬さんら大連からやって来た医療スタッフは、計509人の重症患者を救ったのだ。

ポスターの写真でも顔のゴーグル跡がくっきりと見える
3月30日、馬さんら529人の医療スタッフが帰宅の途についた。「私たちが武漢から離れる時、道沿いに住む多くの市民たちがベランダから手を振って敬意を示し、『ありがとう、私たちのために命をかけてくれて』と叫んでくれました。今回の救援活動は彼らを感動させ、同様に彼らは私たちを感動させてくれました。武漢の人々が大きな犠牲を払ってくれたので、比較的短時間で感染症のまん延を抑え込むことができたのです。武漢を離れる時、とても感慨深く、家に帰れるといううれしさだけでなく、そこに対する愛着もあり、武漢が間もなく正常な秩序を取り戻すことを考えると、私は『使命を辱めず、青春に悔いなし』と自分に向かって言いたいと思いました」
ママのPRポスターの前に立つ息子
雷神山病院の記念章
感染症と闘っている間、日本社会は中国に対し援助の手を差し伸べてくれたが、馬さんは、「日本は私たちの隣国で、大連と日本はとても密接な往来があります。息子と私は『ドラえもん』『千と千尋の神隠し』などの日本のアニメが大好きです。普段、私たち家族は大連のある日本料理店によく行っていますが、そこの日本人のおばさんはとてもいい人です。今回日本が私たちに多くの支援をくれ、特に松山バレエ団の団員たちがみんなで『武漢がんばれ!中国がんばれ!人類がんばれ!』と叫ぶのを見た時、私は思わず涙をこぼしてしまいました。ウイルスには民族も国境もなく、全世界の人が団結して互いに助け合い、共に感染症と闘うことで、より速くウイルスを制圧することができるのです」と語る。(文=王漢平・人民中国雑誌社副社長 写真提供=馬楠)
人民中国インターネット版 2020年4月9日