未来志向のPanda杯が新時代の中日友好の場をつくる

 

 

  習近平国家主席は大阪で開かれた主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)出席前の6月25日に、Panda杯全日本青年作文コンクール受賞者の中島大地さんの手紙に返信を送った。習主席は返信の中で、「中日の若者には、相互交流を深め、相互理解を進め、長きにわたる友情を育み、両国関係のより良い明日を切り開くために積極的な貢献を果たしてもらいたい」と激励の意を込めた。折しも中日青少年交流推進年に当たる今年、習主席が両国の若者へかけた希望と励ましの言葉は、両国民の心の距離をより一歩近付けた。 

  各界が続々と中日青少年交流にますます注目し、応援する中、2019年Panda杯受賞者訪中団は7月31日と8月5日にそれぞれ東京と北京で行われた授賞式に参加した。そして8月2~8日まで北京と西安を訪れ、中国の若者と交流し、さまざまな場面で中国の悠久の歴史や文化、さらに日進月歩の発展を遂げる現代の中国に触れた。

 

未来に向け進化し続ける

 

  Panda杯全日本青年作文コンクールは駐日中国大使館と中国外文局傘下の人民中国雑誌社、日本科学協会が共同で主催している。今回、東京と北京で行われた授賞式では、孔鉉佑中国大使や外文局の杜占元局長ら主催側の代表者があいさつで、習主席の返信に込められた深い意味を強調した。孔大使は「習主席がコンクール受賞者に返信したことは、中日両国で大きな反響を呼んだだけでなく、主催側も励まされた」と述べた。また、杜局長は「習主席の返信は、Panda杯の参加者、運営者、支持者にとって、大きな励ましであり、より多くの中日両国の青年が中日友好のための事業に積極的に参加することを激励するだろう」と指摘した。 

  人民中国雑誌社の王衆一総編集長は東京の授賞式のあいさつで、「習主席の返信には、青年交流によって両国の人々の友好が促進されてほしいという期待が表れていた。われわれは今後、Panda杯作文コンクールのアップグレードを積極的に考えなければならない」と述べ、受賞者が今回の訪中旅行を終えた後、新しい『東方見聞録』を記すことを期待すると語った。 

  アップグレードしたPanda杯は過去の経験と密接に結び付いている。Panda杯は、14年に創設されてから6年にわたる進展の中で、全国47都道府県から2500点以上の応募があり、100人以上の若者を中国に招いている。これまで、大学生や会社員、記者、編集者、地方公務員らが参加した。 

  駐日中国大使館の郭燕公使は参加者を「パンダ青年」と親しみを込めて呼び続けている。「立場や職業はそれぞれ異なるが、全員が中日友好の推進に前向きに取り組んでいるからだ」と郭公使は語る。15年の受賞訪中者の山本勝巳さんは「パンダ青年」の中では先輩に当たり、コンクールの主催側やコンクールを通して知り合った中国の友人と常に連絡を取り合っている。今年は妻と1歳の娘を連れて、名古屋から東京の授賞式に参加した。記憶の奥底にでも、赤ん坊に中日友好の思い出を持ってもらうためだ。昨年の受賞者で、今年はボランティアスタッフとして参加した小嶋心さんは、先月4日の北京大学の学生との交流で、昨年知り合った友人と旧交を温めた。Panda杯は中日青少年交流の重要な場となり、中日友好に力を尽くす若者を磁石のように引き付け、彼らを巡り合わせている。 

  すでに積み重ねた成果の上、アップグレードしたPanda杯はさらに内容を豊かにし、形式を刷新し、規模を拡大し続け、「中日青少年交流を推進し、日本の青少年により理性的・客観的かつ包括的に中国を理解してもらう」というPanda杯の初心を実現する。主催側によるアップグレードの試みは、今年の中国旅行ですでに実行に移された。

 

温故知新の中国旅行

 

  「パンダ青年」が中国に旅立つ前に、孔大使は訪中団に次のようなメッセージを贈った。「北京や西安を窓口として、新中国が成立してから70年間にわたる経済や社会の発展をあらゆる角度で理解し、中国5000年の悠久の歴史で培われた文化を体験してほしい」

  北京で訪中団を迎えた人民中国雑誌社の陳文戈社長は、主催側を代表して、美しい故宮オリジナルグッズ―北宋(960~1127年)の首都開封のにぎやかな様子を描いた絵巻「清明上河図」をあしらったしおり―を団員全員にプレゼントした。そして、今回の訪中の機会を大切にし、多くのことを見て、考え、帰国後、見聞きした中国の印象を家族や友人に伝えてほしいと語った。 

  今年の訪中団には、中国語学習者や訪中経験者もいれば、初めて中国に来る人や中国語を全く話せない人もいた。だが中国のことをよく知る人も、初めて中国と関わりを持つ人も、孔大使の期待に応えるように、今回の旅で中国に対する見方をアップグレードさせ、新たな発見をした。 

  石川春香さんは11年10月に北京を旅行したことがある。当時は北京の空港を出てすぐにスモッグに包まれた。「当時の北京は空気が煙臭かったです。景山の頂上でも、故宮がようやくおぼろげに見える程度でした。でも今回の北京は以前と全く違い、空気もきれいになっています」。石川さんは2度の北京旅行で環境の変化に強い関心を持った。「中国が環境改善のために大変な努力をしたことが分かります」

  実体験に基づく感想のほか、多くの団員は先月3日に見学した北京国際園芸博覧会で、環境保護を重視する中国の決意を見て取った。大学でデザインを学ぶ勝俣友加里さんは、生活体験館で見た園芸作品がとりわけ印象に残ったという。「1階から2階に上がるスロープに、ハイヒールや木製棚、ビニール袋などの日常的な品物が植木鉢になって並べられ、植物が植えられていました」。デザイン理念に興味が湧いた勝俣さんは、ホテルに戻ると『人民中国』7月号に掲載されている北京園芸博特集を読み、作品に込められたリサイクルの精神に感心した。「園芸作品は、どうすれば廃品を自然に返すことができるのかということを考えさせてくれました」

  グリーン発展の理念を見つけただけではない。多くの若者は、中国の歴史の長さを知っていたとはいえ、北京の故宮や西安の兵馬俑など古建築や遺跡を実際に目の当たりにして、非常に心が動かされたという。 

  陝西省青年連合会の徐永勝主席は西安で訪中団一行をもてなし、次のように西安の歴史を紹介した。「中国の100年の歴史を見たいのなら上海に、1000年の歴史を見たいのなら北京に、5000年の歴史を見たいのなら西安に来るべきだ」

  中国語学習歴1年で、今回が初訪中となる清水若葉さんは、西安の旅で中国の歴史の流れを感じただけではなく、日本文化の源流を発見したと話した。それは、大雁塔広場で唐代(618~907年)の庶民の生活を描いた数々の彫像の中に、相撲を取っている人物を見つけたときだ。清水さんは同行していたスタッフに、「昔の中国にも相撲はあったんですか」と聞いた。そして、相撲や刺し身といった食文化の源流も唐から日本へ伝わったことを知り、日本の多くの伝統文化や生活習慣が中国の影響を受けて発展したものであることに感銘を受けた。 

  中国に住んで5年半になる南部健人さんは、北京での授賞式でこう語った。「中国にいる時間が長いほど中国を理解でき、より多くの発見ができます。この感覚は特に日本人にとって強烈です。日中両国は文化が非常に似通っているため、中国を理解すればするほど、日本への理解もますます深まります」

 

言葉の壁を乗り越える

 

  訪中団が毎年欠かさず行う重要イベントの一つが中日青年交流だ。最初は日本の若者が中国の若者と一緒に大学の教室で話し合うだけだったが、中国の一般家庭で共に夕食を食べるという形式に変わり、現在は日本語を学ぶ中国の若者と一緒に北京の観光地を回るようになった。Panda杯はこのように交流のやり方を刷新していった。 

  今年はアップグレードの試みの一つとして、日本語学科の中国人学生のほかに、日本語ができない若者も交流イベントに招き、日本の若者の「友達の輪」を広げようとした。先月4日、中日計46人が3組に分かれて故宮、北京大学、什刹海(北京市内の湖)で一日交流観光を行った。

  北京工商大学の李思峰さんは日本語が話せないボランティアスタッフだ。北京に到着したばかりの訪中団をホテルに案内する際、李さんは上手にコミュニケーションが取れなかったらどうしようかと少し緊張していた。そして、事前に故宮の関連資料を調べて予習した。しかし、初対面での自己紹介で李さんの心配は消えた。小学生の頃に広州に住んでいた石川春香さんが、李さんと中国語を交えた英語で会話ができたからだ。石川さんはグループで言葉の問題が起きれば率先して通訳した。 

 故宮見学が終わる頃には、李さんは交流に自信を付けていた。「今日のイベントで、言葉が通じなくともそれは交流の妨げにならないことが分かりました。以前は語学力が低いと思っていたので、このような交流イベントに参加しようとは思いませんでしたが、これからは積極的に外国人学生と触れ合い、中国のことを紹介したいです」 

  一日通訳を務めた石川さんは、みんなから中国語のうまさを褒められたときに恥ずかしげにこう話した。「中国語を鍛えたかったので、今日はチャンスとばかりにできるだけ中国語をしゃべろうと思いました。実は多くの場面で中国語が思うように出てこなかったのですが、私と話してくれた中国の学生は真剣に耳を傾け、私の話を一生懸命理解しようとしてくれました」 

  交流に参加した中日の若者は、誠実な態度によって言葉の壁を乗り越えた。この交流イベントで中国の若者と友達になった北村美月さんは、交流の感想を中国語でまとめた。「今日知り合った女性は日本語ができませんでしたが、ずっと日本を褒めてくれてとてもうれしかったです。彼女の熱意に私も中国をもっと理解したいと思いました。日中友好とは大事業のように聞こえますが、実際は簡単で、こういう友好のサイクルから始めていけばいいのです」

 

遣唐使に倣い新たな交流を

 

  今年のPanda杯は新たな友情を結ぶだけではなく、中日友好交流の起源を探るという目的もある。北京で什刹海を見学した団員は胡同(古い横丁や路地)に今も残る文学者?郭沫若の旧居を訪ねた。郭沫若は1914年に日本に留学し、長く暮らした。49年に新中国が成立してからは中日の学術文化交流を積極的に推し進め、両国の国交正常化に大きな貢献を果たした。 

  京都大学の大学院生の出石佑樹さんは郭沫若の生涯に触れ、こう語った。「私はいつも実験室にこもって研究に没頭していますが、それでも郭沫若と同じく、日中関係をより発展させるためにできることはないかと考えています。中国の学生との交流の中で、政治関係がどのように変わっても学生同士の民間交流は維持し続け、両国のより良い関係を共に築かなければいけないと思いました」 

  今回の中国旅行では、多くの団員が出石さんと同様に学ぶべき先人を見つけた。これまで中国に来たことがなく、中国語もしゃべれない大谷琢磨さんは、西安の興慶宮公園にある阿倍仲麻呂記念碑を見て、このような感想を持った。「李白が阿倍仲麻吕のために詩を詠んだことから、二人の友情の深さがうかがえます。その頃から日本と中国が深い交流をしていたことを知り、とても感動しました。帰国したらここで見聞きしたことを友人に伝えたいです。自分から始め、自分の周囲から行動を起こし、両国の文化交流を積極的に推し進め、日中の美しい明日のために力を尽くしたいと思います」 

  愛媛県から来た日野鈴香さんは、西安の青龍寺遺跡で、0の形をした石像と記念写真を撮った。空海は青龍寺で仏法を学んだ。ここは、彼が日本へ仏教を伝道する前にいた場所であり、石像には始まりの意味が込められている。「私の古里の四国には空海法師と縁が深い88カ所の寺院があり、私もお遍路をしたことがあります。しかし今日初めて、ここが四国巡礼(お遍路)の『原点』であることを知りました。帰国したら、自分が感じた日中文化交流の歴史の長さについてSNSにアップします」 

  西安の学生の秦長志さんは、日本の若者と一緒に中日友好の歴史のスタート地点を探す旅の中で多くのことを感じたという。「日本の若者が先人の足跡をたどって西安を訪れたことで、中国の学生も誠意を込めて、多元的で開放的だった唐代同様に彼らを歓迎しました。その瞬間、時間がはるか昔にさかのぼり、先祖たちの厚い友情が現在の中日の若者の手に託されたかのように感じました」 

  先月5日に北京で行われた授賞式でも、杜局長は「パンダ青年」たちにこう述べている。「1000年以上前、海を渡って中国に来た遣唐使は空前の活況を呈する中日交流の叙事詩をつくった。新時代に向け、日本の若者は彼らを手本とし、代々にわたり先人が託してきた中日友好のバトンを受け継ぎ、中国の若者と手を携えて両国関係のより美しい明日をつくっていってほしい」 

  アップグレードしたPanda杯は新時代の友好の使者が交流する場となった。両国の若者が、民間交流というレベルを超えて、より広い舞台やより多くの分野で手を取り合い、中日関係のさらに美しい明日のため、世界の平和・安定と繁栄・発展のために積極的に役割を果たすことを望みたい。

 

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