名前も知らない彼ら
 

いつのことだろうか。たしか肌を刺すように冷たいの日のことだった。私は勉強に追われ、疲れ果てていた。どんよりとした雲の下、ただただいつもの塾からの帰路をたどっていた。横浜の飲み屋街を通り過ぎる。週の終わりだけあって酔っぱらった大人たちが周りを気にせず騒いでいる。そんな大人たちの間をはやあしで抜けていく。寒さが受験シーズンの到来を感じさせる。受験までもう時間がないことを実感する。歩く速度が上がる。なのにいつも乗っている電車に乗り遅れる。こういう小さいことでイライラ、そしてもやもやしてくる。なんとなく心に雲がかかる感じがする。そんなことをただただ思っていた。

やることもなく周りを見てみる。ホームで待っている人は皆スマホをいじっている。自分の世界に入っているようだ。ふとスーツケースを持った二人組が目に入る。60代くらいの温厚そうな老夫婦だ。駅の案内をまじまじと見ている。それでも道がわからないのだろう、周りの人に話しかけようとするが人々は自分の手元以外に注意がない。そして私と目が合う。互いに歩み寄り、話しかけられる。しかしその言語は中国語だった。彼らは中国人だったのだ。私はてっきり日本人だと思っていた。だって見た目からはわからないもの。中国語で話しかけられても分からない。思わず首をかしげた。彼らは彼らできょとんとした様子で私を見ている。なるほど、どうやら彼らもまた私を中国人と勘違いしていたらしい。

どうりでペラペラな中国語で話しかけられるわけだ。なんとなくおかしかった。お互いに間違えるとは。少しだけ心がくすぐったかった。とりあえず身振り手振りで対話をし、ふたりが乗り換えをしたいことはわかったが、改札を出ていいことと乗り換える駅までの道をうまく伝えられない。それでも二人は終始にこやかに言いたいことを理解しようとしてくれた。そしておもむろにひとりが翻訳機を出してくれた。使ってみるが肝心の経路の翻訳がうまくいかない。

もうこうなったらしょうがない、私がその駅まで案内しようと思いその趣旨を伝える。どうやらうまく翻訳できたらしい。「ありがとう」と翻訳機から帰ってきた。私が歩こうとするとまだ何か話していた。「でも時間がなかったら大丈夫」と表示された。こういわれるとなぜかより一層案内してあげたくなってしまう。私は手でOKをつくり案内した。なんとなくふたりをこのままにしておけなかった。改札を出てしばらく歩くと道順を示す標識が見えてきた。二人はこれに気付くと私に「もうここまでで大丈夫。ほんとうにありがとう」と言ってくれた。そのあと二人と熱い握手をした。その手は温かみにあふれていた。

二人と別れうきうきとした足取りでホームに戻るとちょうど電車が来るところだった。帰りながらこれからいいことがありそうだと予感する。あのふたりの気遣いと温かみに触れて、心は晴れ、希望に満ちて眠りについた。ほんとうに小さなことかもしれないが、私にとっては今でも忘れられない記憶になっている。あの人間性を模範としたいとおもうばかりだ。結局私は名前も知らない二人から何か大きな影響を受けた。それは何かわからないが悪いものではない。とりあえず感謝しているのである。ただ、唯一悔やんだことといえば中国語を全く知らなかったことだ。あの時少しでも話せたら、、、そう思ってやまない。

そして私は大学で中国語を学び始めた。あの二人とまた会って直接会話をしたいと願うばかりである。それは難しいことだろう。現実的にはほぼ不可能といってもいいかもしれない。ただ、今の私が言えることは何十億といる中国人の中の二人が私に元気を与えてくれて、それに感謝していることだ。いつの日か、中国に観光に行ってみたいと思う今日この頃である。

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