食堂のおばちゃんと迷い魚
 

  広い中国には、日本が到底及ばない人口と土地を有している。喩るなら海、そして私は小さな魚。こぢんまりとした水槽から飛び出して、空の境界線を越えて、彼方の海に潜り込んだ。ここには水槽と比べものにならない、延々と広がる大地、似たようで全く似てない同席人、予想のつかない食事、駆け足でも追いつかない信号、最後尾の位置がわからない行列など、あらゆるものに朝夕戸惑う。

水槽出身の小さな魚の私は、自然とこの波に埋もれ、潮が引き下がる際に首を出して、旅路の舵を取り直した。途なかでたまに疲れたりする。同じ空を見上げてるのに、自分だけが違う空間にいる気がする。空気が澄んでいる日は、空がやたらと遠い気もする。気付いたら舵を握る手が痺れていた。

時計をみると午後の四時半、中国では夕食が提供される時間だ。大学の近くに宿を取っていて、連日で学生食堂に通い、同じカウンターで同じ料理を注文するようになった。鉄製のお盆の上には、おかずが山盛りになって出される。毎回食べられる量を見計らい、「了,(充分です。もう結構です)」と、食堂のおばちゃんに声をかける。しかしおばちゃんは聞く素振りもみせず、一心におかずを積み上げる。機嫌が良い時は、「這就了?年人就多吃点!(これで足りるの?若いんだからもっと食べなさいよ!)」と私に説教して、汁がこぼれそうなところまでおかずを盛る。

 今日もお馴染みのカウンターに足を運ぶ。ガラス越しに食堂のおばちゃんと目が合った。目当てのおかずに指さす時間も待たずに、おばちゃんは朗らかな表情で「いつもの?」と聞いてくる。恥ずかしながら頷き、ご飯の量も伝え、会計を済ませ、おばちゃんからお盆を受け取る。すると、今まで頼んだことのない一品料理がのってあった。取り間違えたのかと思い、再びおばちゃんのもとへ戻って聞いてみると、おばちゃんは手を振りながら、「これはおまけだ」と、大きな笑顔を見せた。それでも素直に受け取らず過剰に反応した私が癪に障ったのか、しまいには若干切れ気味に言い放った。

是不是了這個是送的,不要,白吃白不吃,拿去!看了就想起我孩子,拿去多吃点。(あんたはバカじゃないの!無料であげるっていうんだから、もらえばいいのよ!ただなんだから、ほら持っていきなさいよ!あんた見てると自分の子どもを思い出したよ、ほらいっぱい食べな!)」

そしておばちゃんはすぐ後ろに並んだ客の注文を伺った。私はその「乱暴」だけど飾り気のない好意に深く会釈して、温かい食事をいただいた。

中国は確かに広い。広すぎて、寂しい思いをしたり、虚しさに挫けたり、胡同を前に途方にくれたりすることもあるだろう。その一方、広大さゆえに思いもよらぬ所で思いもよらぬ人が、自分と交わりかかわることも不思議ではない。

 そんなことを考えているうちに、気持ちが高まった。この先、舵を操る手はぐらつくこともあるが、今までと違って強い力が漲っている。街中には広場ダンスの楽曲が昂然と響き渡る。数列に並んだおばちゃんたちが音楽に負けない熱意と笑顔で、日々を謳歌している。今日も浩蕩たる波に酔いながら、帰り道を辿った。

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