私にとっての日本と中国
 

 現在この日本に住んでいるもしくは滞在しているという中国人はきっと大勢いるのだろう。近所のちょっとした道を歩けば、時々中国語での会話が聞こえてきたり、また近所の中華レストランに行ったりすると、外と店内の空気感がガラリと変わる。店内の雰囲気はまさに、私は今中国にいるのだろうかと錯覚するほどである。

脂っこい、がその中に唐辛子や、ニンニクなどの香ばしい匂いがし、壁には逆さまになった“福”の文字が貼ってあり、また店員の発する日本語は少し流暢にも聞こえるがどこか下手で聞いていて飽きない。そんな全てが日本で暮らしている中国人の心の癒しとなり、それを求めて皆はここに足を運んでいる。そして同時に私も故郷の味を楽しむためここに訪れた。                                                  

私は日本在住で日本国籍の学生だ。生まれも育ちもこの土地であり、日本語を第一言語としている。今でこそ自分を理解できるが、小学生だった当時の私は周りの同級生からの理解をあまり得られなかった。

中国人の両親を持つがゆえ、当然私自身も中国語を話せるのだろう。当時はそんな理由と物珍しさで私に中国語を話せと言ってくる同級生が少なからずいた。しかし私は決して人前で中国語を話すことはしなかった。当時の私は他の人と違っているなんて嫌だ、恥ずかしいと思ってしまい、自分が中国人であることをあまり快く思っていなかった。私は目立ちたがり屋でも何でもなかったので、周りの注目を浴びることが苦痛であった。また、疎外感を味わったのだ。

 実際問題私に限らず、日本の学校に通っている様々な外国人が私と同じように自身の境遇に悩んでいるのかもしれない。私の小学校時代なんてその一例に過ぎない。今では、私自身のこの中国語スキルを活かして生活している。中国語を学ぶこと、そして中国新聞を読んだり、ネイティブの人たちとの交流をすることが私自身の趣味でもあったりする。

 そんな私がこの数十年生活してきて発見した中国と日本との違いについて説明していこうと思う。

 今回は特に、食文化の違いについてだ。日本料理と中華料理でその作り方や味の雰囲気は全く異なっていることは広く知られているだろ。しかし、ご飯の食べ方やマナーなどは知らない人も多いはず。日本ではファミレスなどに家族で行った時食べきれる分だけを注文する。だが、中国人は目に見えて食べきれない量なのに食べたい料理を片っ端から注文していき、家族みんなで食べるというやり方なのだ(地方によっては異なる)。だから毎回私がこうして家族とご飯に来ると、テーブルがお皿でいっぱいになる。父親曰く、せっかくご飯を食べに来たのに、料理がたくさん並んでないと、お腹いっぱいになった気がしないそうだ。確かに、私自身もご飯を食べる時おかずを多く食べないと気が済まない傾向にある。

 また、日本ではご飯を食べる時、“いただきます”そして“ごちそうさま”というが、中国にはその習慣がない。ならどうやって食べ始めるかというと、食卓にいる一番年長者が食べ始めたら、みんなも食べ始めるそうだ。文脈で表すとこの表現になるが、実際私が祖父の家へ遊びに行った時、ご飯の時間になってテーブルに料理を並べるとまだ、全部作りきっていないのに祖父がもうお酒とともに食べ始めていた。だから本当のところはわからないが、そうした食文化の中に年長者を敬う文化も混ざっているのだと私は思った。

 中国の文化は主に食を中心としている。地方によって様々な食文化があって、料理の作り方にも特徴がある。“八大菜系”と言って中国大陸に置いて約8種類の料理がある。辛い料理や甘じょっぱい料理など、特に私は、しょっぱい系の料理が好きだ。中国の中だけでも、それぞれ違った食文化があって、違った料理、文化が楽しめる。

私にとっての中国は、まだまだ未知の部分が多く、自体が私自身の学びの欲求へとつながっている。と私は考えている。

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