人生の舞台
 

  中国に訪れた経験は私に変化をもたらした。それも私が生きてきたこの20年間で最も大きな変化を。

世間でよく使われる ストレス というものに心が疲れ切っていた。体に力が入らず、何かをする気力もなくなっていた。とても長い1年を過ごしていた時期があった。その長い1年というのは、私にとってのドン底という表現がふさわしいだろう。最も苦しかったのは、何か出来事があっても、感情が湧かず、自分の気持ちを誰かに伝えたいとも思えなくなってしまったことだった。しかし、ただ一つ、“変わりたい”と思い続けられたことは幸運だったのかもしれない。

私は長い1年を過ごした後、なんとか大学に入学し自分のペースで新しいことに挑戦しようと思っていた。大学というところではさまざまな授業が開講され、その中で中国での現地実習が含まれる授業があった。挑戦という言葉に当てはめるつもりはなかったが、やってみようというただその思いが生まれた。大学でよくある第二外国語として中国語をとっていたこともあり、少し興味があった。

そして、初めて中国という場所に降り立った日、これから何が起こるか少しも予想することはできていなかった。初めての中国、天津の気候は夏の終わり、肌寒さが感じられた。なんだかすべてが大きく見えて、その壮大さに早くも感動していた。移動しているバスの中で、私が持っている中国についての知識を整理していた。事前学習で仕入れた、日本国内で出回っている中国の報道、そこから生まれる誰かのステレオタイプ。それに、少しの中国の魅力について。あの長い1年の間に何かを信じることができなくなっていた私にとって、周りにいる人やテレビが言うから信じる、という事はできなかった。自分の目で確かめたい―。街に降りれば、すべて中国語。その言語が生み出す音は強弱のはっきりした力強いものだと感じた。うらやましかった。伝える気持ちを失っていた私の感情が少しざわつき始めていた。中国にいる時、地下鉄を利用した。少し疲れてうつむいていた私に目の前に座っていた人が何かを言って、席を譲ってくれた。東京で育った私が一度も経験したことのないことだった。その後も子供に席を譲る人、笑顔で手を振ってくれるバスの運転手さんなど、小さな優しさがいくつも見られた。もちろん、人によっては違うのかもしれないし、この短期間に起こったことであるから、偶然だったのかもしれない。しかし、中国にはとてもきれいで儚い、純粋な人の良さが存在していると思った。そして、今までにないほどの感謝の気持ちが沸き上がった。ただその小さなやさしさがうれしくて。その人たちのために直接恩を返すことはできなくても、いつか必ず力になりたいと思った。

日本に帰国してから、私は中国語を毎日聞いていないと落ち着かなかった。周りから見れば、すごく勉強しているように見えていたのかもしれない。でも私は楽しくて仕方がなかった。いつしか私は誰かに思いを伝え始めていた。沸き上がる感情に任せて。そして、語学研修のためにまた中国へ行く機会を得た。2度目に降りた中国で感じたのは明らかな自分の成長だった。中国語が意味を持って私の耳に届く。そして、伝わる。とはいえ、まだまだ足りない。でも、可能性を感じた。自分は変われるのだという可能性を。中国、また中国語を通して多くを学んだ。言語、人との関わり、言葉で思いを伝えること。人は人がいるから、感情が生まれ、自分の気持ちを表現したいと思う。伝わる喜びを感じられるから、いくつもの困難や葛藤に立ち向かい、成長していく。

私にとってこの1年もまた、とても長かった。でも苦しかったあの長い1年とは違う。11日を感謝の気持ちを忘れることなく本当に大事に過ごしていられるからだと思う。すべては自分次第。違う視点、誰かの温かい思い、見つけられたらもっと輝く。

中国とのご縁が私の背中を押してくれた。

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