勘違い
 

  あなたは勘違いで人とすれ違ってしまったことはあるだろうか。言葉が足りなかったこと、相手の顔色を見て判断してしまって相手は怒ってないのに怒ったように感じて仲が悪くなってしまったような経験はあるだろうか。私はよく言葉が足りなくて相手にうまく伝わらないことがある。自分では伝えていたつもりでも客観的に考えてみるとこれでは相手が勘違いしてしまっても無理がない、と思うことが多々ある。これは同じ日本人での間でのことだ。では、これが全く知らない人、さらに言葉の通じない外国人に対してだったらどうか。

 私は以前派遣バイトで宅配便の荷物整理で工場に行った。そこにはたくさんの中国人がいて何回もその工場で派遣をしているらしく、動きが慣れていた。私は一人でその現場に行ったのでとても不安だった。不安の中始まったバイトで私はさらに不安になった。私から見ると中国人が大きな声で喧嘩をしながら作業をしているのだ。ずっと叫びながら作業をしている中国人。私は何にそんなに怒っているのだろうと考え始めました。そこで出た結論は私の作業が遅いからみんなで文句を言っているでした。私はそのように思ってから作業のスピードを上げた。でもまだ文句を言っているように思える。すると、一人の日本語を話すことができる中国人が「仲間内でだれが言いに行くか迷って遅くなってしまったのですけど、重い荷物の時は僕たちが運ぶので言ってください。女の子に重たいものは持たせません。」と言ってくれた。私は大きな勘違いをしていたのだ。あの喧嘩だと思っていたことはすべて私への気遣いだったのだ。私は自分で自分が恥ずかしくなった。こんなにも相手を思っていた人たちに対してただ声が大きい、というだけでずっと喧嘩をしている人たち、と判断してしまったからだ。そこで私は外見でなく内面を見ていきたいと強く思うようになっていった。私はどうしたらより内面を知ることができるのかと考えた。そこで一番いい方法は相手としっかり話をすることだと気づいた。さらに、言語が違うのだったらその言語を知っていけばいい、と考えるようになった。そして今、私は大学で第二言語として中国語を学んでいる。そこでまず先生から言われたことは、中国人と日本人の違いだった。中国人は日本人と違って語尾まではっきりと話すということだ。そこで私は派遣先での中国人の喧嘩だと決めつけていたことがただの会話だった、ということを知ることができた。また、日本人が他の言語を勉強する際発音で苦戦する理由は、日本人があまり口を開かず語尾に向けて小さくなっていく話し方をしているからだ、ということも知ることができた。

 話をしても勘違いをしてしまうことがある。話していない時なら尚更だ。自分だけの判断で勘違いして相手を知ることができないのはもったいないことだと思わないだろうか。私はたくさんの人と話して自分の固定観念をなくしていきたい。“当たり前”なんてないのだ。自分が思っている“当たり前”は他の人にとっての“当たり前”ではないかもしれない。私は人の意見を聞いて納得する部分は吸収して、少し納得できないならばなぜ納得できないかを考えていきたい。大学生活はもちろん、社会に出てもたくさんの人の意見を吸収して、自分の概念の幅を広げていきたい。

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