祖母の手紙
 
 小さい頃、共働きで家にいない両親の代わりにずっと一緒にいてくれたのは祖母だった。祖母は中国出身で日本人の祖父と結婚し、母が生まれそしてクォーターである私が生まれた。

 私は生まれながらに心臓が弱く、激しい運動や遠出は医者からとめられていて、行けるのは近くの公園、遊べるのはブランコや滑り台程度、祖母はそんな私をとても優しく大切にしてくれた。

 祖母が、私にずっと言っていた言葉は「いつか一緒に中国へ行こうね」だった。

いつも「約束」と言って指切りをしていた。祖母は中国のいいところや食べさせたい料理見せたい風景の事をずっと話してくれていた。祖母の話す中国がとても楽しみだった。

 祖母は、私が五歳のころに亡くなっている。結局、私は祖母と中国へ行く事は叶わなかった。

 私は日本で過ごし続けて高校生という歳になっていた。東京オリンピックが決まり、日本に訪れる中国人も増えてきて、私は疎遠していた中国にまた興味を持ち始めた。

 私が住んでいる街は有名なお寺があり、観光客が多く、駅でよく中国人に話しかけられることがある。中国語で話しかけられても分からず、もどかしい思いを何度もしてきた。きっとオリンピックの年になったら、もっと話しかけられるんだろう、そう思った私は少しでも中国語で会話したいと考え両親に「中国語を学びたい」と相談した。両親は、快く賛成してくれた。

 手紙の事を知ったのはついこの間の事だった。母が少し大きな箱を取り出してリビングの机の上に広げて、その箱から一通の手紙を取り出した。その手紙は中国語で書かれていた。私がその文字を読もうとする前に母はその手紙を箱の中に戻してしまった。「これはお婆ちゃんが書いた手紙だよ、貴方に書いた手紙。貴方がちゃんと中国語読めるようになって、中国に行っても困らなくなったら読ませてあげる、今はまだ早いわよ」と母はそれだけ言って夕飯の支度に取りかかった。

 驚いた。祖母が私に手紙を残してくれているなんて知らなかった。もし私は中国に興味を持たず、中国語を学びたいと思わなかったら、きっと母は手紙を見せってくれなかったでしょう。両親も祖母も私が自分で道を選ぶのを待っていてくれた。両親と相談して来年中国の大学に進学することを決めた。

 私は、まだ祖母の手紙を読めていない。もしかしたらその手紙を読むことが出来るのはまだ先かもしれない。それでも私は一歩ずつ中国に関わり、中国語を学び、自分の世界を広げたいと思う。

 今日も手紙の内容が何なのか考えながら、私は中国について学んでいる。

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