中国とわたしの複雑だけど単純な関係
 

  13歳の私には秘密があった。「中国語が話せる」ということだ。

 私は、小学校4年生から6年生にかけて父の仕事の関係で中国の広東省広州市に住んでいた。週に2回の中国語のレッスンは、毎日少しずつ話せるようになることが楽しく、大好きだった。習い事の先生。「島」をめぐる問題における抗議デモが行われたときに私たち日本人を守ってくれた警備員さん、領事館の方々。多くの中国人に支えてもらって、私たち家族は何不自由ない生活を送ることができていた。

 中国を名残惜しく思いつつ、日本に帰国してからだ。私が隠し始めたのは。

 日本に帰ると、テレビでは「爆買い中国人」「ニセモノ王国」など、人々に中国の印象を悪く持たせるような番組が毎日放送されていた。現在でもそれは続いており、そのような放送を行うコーナーまで出てきている。私が帰国したのは、中学1年生の13歳。テレビの放送を鵜呑みにしてしまう年齢だった。そんなこともあり、周りの子たちは、私が中国帰りだと知ると、私のことを「中国人」と陰で呼ぶようになった。ある時、「中国語を話してみてよ」と言われたことがある。私は、得意になって自己紹介を中国語でした。すると、私が想像した反応とは真逆の言葉が返ってきた。

 「やっぱり中国人じゃん」

 その時から私は中国語が話せないフリをするようになった。そして、忘れようとした。

 それから、何年かして広州で一緒に過ごした日本人の友達も同じような経験をしていたことを知った。それも色んな地域で何人もの子が。

 今、グローバル化と言われ続けている中でなぜ日本人は中国に歩み寄ろうとしないのだろうか。子供だからテレビを鵜呑みにしてしまう、そんなことがこれからの世界で通用するのだろうか。いや、大人でさえもメディアからの情報を真に受けて、間違った知識の中で生活している。もっと私たち自身がその国について調べ、考え、自分の目で確かめていくことが必要なのではないだろうか。

 ここで私は自分自身を振り返った。私はなぜ中国人と言われて傷ついたのだろうか。私も周りの子と一緒ではないか。中国人と言われて、私が大好きだった人たちを思い起こしていれば何も傷つきはしなかったはずである。私もメディアからの情報に浸されていたのだ。私はまだ多くのことを知らない。だから、これからは中国語を隠したりせず、もっと話せるようになって中国について学んで行きたい。そして、自らも出会いや経験を何も知らない日本人に発信して、一人でも多くの人がメディアだけでない中国について考えられる機会を提供したい。これからは私自身が日本と中国の架け橋になれるように努力しようと思う。

 私からの1つ目の発信。あなたは、本当の中国の姿を知っていますか?

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