学者如登山
 
  20113月、成田山全国競書大会で入賞した私は、親善大使として一週間の中国行きの切符を手にした。それは13歳の私にとっての初めての外国、中国。初めて観る雑技団、初めての世界遺産、初めての本場の中華料理、初めて蛇口の水を飲めない経験。すべてが気持ちを高揚させ、私を新しい世界へといざなった。

 私たち入賞者の訪中の目的は、中国の選抜者との「書道交流」だ。そこで私が題字にしたのは「学者如登山」。「学ぶことは山に登ることと同様で決して容易ではない」という意味がある。日本人と中国人がペアになり手伝いながらそれぞれ作品を作り上げる。先に私が筆をとった。練習通り書き上げた作品に私は満足だった。次は中国人の女の子。彼女が書き上げた瞬間、絶句だった。芸術に富んだ彼女の作品は、私の書道への向き合い方に刺激を与えた。私は行書の作品、彼女は隷書の作品を書き上げた。隷書は日本では高校から芸術書道として扱われるものであり、彼女の年齢では日本においては楷書を習うのが一般である。また、日本人が筆を少し自分の方へ倒して書く姿勢とは異なり、筆をほぼ垂直にして書く様子も印象的だった。今まで日本でしか生活したことがなく、日本の書写教育しか知らない私にとっては全く想像のつかないものだった。いつも結果として作品を、書道を考えていたが、その過程には学ぶ環境が生み出す様々な違いがあることを体感した。

 これら以外にも、私は学んだことがある。自身の視野を広げることだ。書道に対する姿勢は日本と中国では大きく異なる。近くの国であり、同じ漢字を書きながらも、表現方法、学習方法は互いに異なる。自分のやり方や考え方と違う、わからないものに直面した時、おそらく人は恐怖を覚える。新しいこと、変化を求められることはいつでもこわい。だが、そのこわさに向き合い、少し足を踏み出せば新しい景色が見えてくる。そこから続く道は長く、険しく、終わりなどないかもしれない。しかし、踏み出した場所からは今までとは違うものが見えるだろう。新しいことや未知への不安、こわさは自身を成長させる原動力となる。「上手く書けなかったらどうしよう、ペアの子の前で失敗したらどうしよう」こんな不安も、私がリアルな中国の書道を見られる機会に繋がり、視野を広げてくれた。踏み出す勇気は成長を、視野を広げる機会を私たちに与えてくれる。

 そして、もうひとつ学んだこと。それは書道という共通するツールを用いてコミュニケーションが取れること。外国人と話すとき、おそらく皆緊張する。言葉の壁、話す内容の障害、多くの困難が待ち受けている。しかし、13 歳の私と11 歳の彼女には筆があった、墨があった、紙があった、そして笑顔があった。コミュニケーションを図ることは難しいことではない。毎日の生活にも、料理、歌、映画などコミュニケーションの種はまかれている。何気なく触れているものにもきっと、国境を超える、人と人をつなげるパワーがある。ありふれたように感じるものも、いつか輝くものになるのかもしれない。小さなことでも、自分自身を大きくしてくれる宝物になると感じる。

 「学者如登山」にはこんな意味もある。「一歩一歩高い所に登るに従い、次第に視界が開け広々と見えるように、学べば学ぶほど視野見識が広がっていく。」13 歳の私は学ぶことは常に努力と苦労が伴うとだけ思っていた。だか今あの時の貴重な経験を振り返ると、得られたものはそれだけではない。未知を恐れず向き合う大切さ、小さなきっかけも自分自身を大きくしてくれる可能性を持つこと、そして踏み出し学ぶことは視野を広げてくれること。13 歳の私の中国訪問経験は今でも生き続け、影響を与えてくれる「学者如登山」の志を持ち、自分自身を磨き高めていきたい。
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