松坂茉留
三年前、私は中国・雲南省で行われた中国語スピーチコンテストの世界大会に見学者として選ばれた。世界各国からの中国語学習者が一斉にそこに集まった。人数は正確にはわからないが、300人は軽く超えていたと思う。そのほか、たくさんの場所を訪問し、たくさんの中国人と知り合うことができた。その中で今でも印象に残っている人がいる。それは私がとある雲南省の中学校を訪れた時に知り合った人だ。現地の中学三年生の生徒と一緒に世界史の授業を受け、校庭でバレーやマラソンをし、給食を食べ、みんなとお別れ。帰りのバスが来るまでの間、私は校内にあるコンビニで暇をつぶしていた。するとある男の子が話しかけてきた。内容はよく覚えていないが、QQというアプリのIDを教えた気がする。夜にホテルに戻り、携帯を開くと、さっそく彼から通知が来ていた。そこで初めてお互いに自己紹介をし、連絡を取り合うようになっていった。その時初めて彼が日本語を勉強していることを知った。また、彼は中高一貫校の生徒で、当時私と同じ高校二年生だということも後でわかった。あの日から約一年後経ったある日、彼はなんと日本の大学を受けるために留学しに来たのだ。けれど、東京で日本語学校に通う彼と岩手県の高校に通う私は接点があるはずもなかった。SNS上のやりとりが続くことさらに半年、私は高校を卒業した。東京に用事があり、数日間滞在することとなったとき、ついでに彼と会う約束もした。私が東京駅に着くと彼は手を振りながら笑顔で迎えてくれた。一年半ぶりの再会。でもどこか“初めまして”の感覚があった。それもそのはず。彼は私にとって中国に20日間滞在したうちのたった1分間しか話していない人なのだから。顔も名前もわからないまま別れた人だから。けれど、彼の第一声は「久しぶり」だった。そして、電車に揺れながら彼は言った。「まだ日本人の友達出来てないからまるは唯一の友達なんだ。初めての日本人の友達はまるだよ。」だから一年半経っても私のことをしっかりと覚えてくれていたのか。私は彼にとってかけがえのない存在だということに気が付いた。そしてそれから3年経った今でも、私が東京で開催された中国語の大会に出たとき、彼はわざわざ応援しに来てくれた。連絡だって今でもよく取り合っている。顔も名前も知らずに別れた私たち、それが今では一番仲がいい中国人の友達になった。
たった一分間、されど一生もの一分間。彼はその一分間がくれた一生の大切な友達。
人民中国インターネット版