「2094km」

日暮美音

  形の無い何かが、ふわっと、頭を過ぎる瞬間があるのだ。例えば、日が落ちてから突然降り始めた雨の匂いに。父から頼まれたゴミを渋々出しに行って、外の匂いをすんと嗅いで、あ。となるのだ。あ、なんだか今日の東京は、北京の匂いがするな、と。東京から2094km離れている、決して近いとは言えない国、中国の首都、北京は、わたしにとってそんな風になんでもない日常の中で思い出すような存在である。

  中国についてのイメージを人に尋ねる。ある人はこう答える。なんか、大気汚染が凄いんでしょ?みんなマスクしてるんだって?またある人はこう答える。うーん、なんか無骨な感じ。整備とか、ちゃんとされてなさそう。と。

そして皆お決まりのように後ろに「まあ、中華料理は美味しいよね!」こう続けて、大体話題は終わるのだ。

  私が中国のことを考える時、浮かぶのは音だ。ウソみたいな話だけれど、本当にそうなのだ。天安門や、大きな空港や、市場、餃子、そんな大きいものでも、歴史のあるものでも、美味しいものでもなく、音が浮かぶ。

  まず思い出すのは喧騒。北京の喧騒だ。歌いながら歩く人の声、車のクラクションの音、必要ないくらい大声を張り上げて通話する人の声、店先のおばちゃんと客の会話、母親が子供をたしなめる声、全てが合わさり、例えようもない絶妙な騒がしさが生まれる。

次に浮かぶ音は、料理の音。お世辞にも広いとは言えないキッチンで、おばあちゃんが、その柔らかな手の倍以上もある大きな包丁で、白菜を刻む音。包丁で生地を叩き切って、綿棒で餃子の皮を伸ばすリズム。バツン、シュッシュ。バツン、シュッシュ。おばあちゃん、何か手伝おうか?と声をかけると、ああ!いいよいいよ!座ってゆっくりしていなさい。と断られる。そしてまた始まる、バツン、シュッシュ。

  こんなもの、あげたらきりがないのだ。朝早くにどこからか聞こえる、きっと太極拳をするための独特の音楽。お昼寝するおばあちゃんが、眠りにつくまでに必ず聴く、ラジオの音。長年おばあちゃんに寄り添うラジオからは、時々砂のような音も混じる。運動場に設置された卓球台で楽しそうに卓球を楽しむ若者たち、台の上で玉が跳ねる音。

  わたしが半分中国人であることに関して、好奇な目を向けられることも、嫌悪感を露わにされることも、ちくりと刺さる言葉を投げかけられることも、今でこそ少なくなったけれど、当然あった。確かに自分が傷ついてることがわかって、痛いけれど、もうかさぶたになってしまったから、絆創膏は貼らない。もう痛まないけれど、治らない傷がある。

  そんな私は、大学1年生の今、異文化学を専攻している。歴史を丁寧に学び、様々な角度から中国という国を見つめなおす中で、私の中で、中国という国に抱いているぼんやりとした感情の輪郭が、だんだんと明瞭なものになりつつあることを実感している。毎日出会う知識の一つひとつは面白く、また興味深い。近年、「外国と日本を結ぶ架け橋となる人材」という言葉をよく見聞きする。一般的に、語学堪能な人材を求める際の常套句として使用されているが、私は語学ができること、それだけが全てでは無いと思う。歴史を学び、文化を学び、相手の国柄を知ること。外国に対する知識を身につけた上で、自分の国を見つめ直すことは、性別年齢関係なく、日本に生きる全ての人々がすべきことであるように感じる。そうすれば、橋よりも、もっと強固な何かが出来るはずである。

中国から帰国した母に思い切り抱きついた時、ふわっと香った北京の香りに、あ、と思う。目を瞑る。今日もまた、耳の奥で、北京で生きる人々のざわめきが聞こえる。

人民中国インターネット版

 

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