「言葉の壁」を越えたい

兼頭花

「あんなに大きな声を出して・・・。何が気に入らないのか分からない」

  これが私の「彼」に抱いた偽らざる印象だった。

  そして今では思い出す度に、彼の気持ちをもっと推し量るべきだったと、考えている。

当時私は東京都内の公立小学校に通う4年生で、彼はその年の9月に転入してきた中国人の男の子。転入生というと学期始めの日にクラス全員の前で自己紹介をする、というのがお決まりのパターンだと思われる。だが、「転入生が来る」と事前に知らされることもないまま、9月中旬のある日の放課後に先生に連れられてやってきた、そんな突然の出会いだった。初めて顔を合わせたその日の出来事は今でも特に印象に残っている。

彼の代わりとして先生が私たちに紹介してくれた。つい1週間前に日本に来たばかり、そして日本語をまだ喋ることは出来ないけれど、仲良くしてほしいということ。

海外からの転入生はさほど珍しい存在ではなかったが、中国から来た自分たちと同世代の子と会うのは初めてだったからだろう。そのような紹介を受けてすぐに私たちは興味津々という感情のもと、彼の周りに集まり、話しかけてみた。中国語ってどんな風に喋るのだろう?中国は広いけど彼はどこに住んでいたのかな?興味は次々と湧いてくる。お互いに言葉が通じないことは分かっていたけれど、身振り手振りも加えて丁寧に話しかければ会話も成立するだろうとみんな考えていた。

しかし見知らぬ日本人の子どもたちに周りを取り囲まれ、好奇のまなざしと理解できない言葉が自分に集中している状況は、彼にとってとても辛かったのかもしれない。彼は号泣しながらその場にしゃがみ込んでしまい、どう接すればいいのか分からなくなった私たちは先生が彼に対応する様子を見守るしかなかったのだ。

その後もしばらくは言葉が通じないことでぶつかることが多々あった。思うように意思疎通が出来ないことに怒りが募った彼が暴れだすこともあり、理解に苦しんだ時に抱いたのが冒頭の印象である。話しにくいと敬遠してしまっていた。そんな中で彼は日本語の習得に努力したのだろう。転入してから半年が経つ頃には彼と日本語で簡単な会話ができるようになっており、その頃にはクラスに溶け込んでいた。そんな彼に対してクラスメートとして嬉しい反面、小学校を卒業して6年が経つ今でも申し訳なく思う気持ちの方が大きい。新しい環境に置かれて不安だっただろう彼の気持ちを推し量ることが出来なかったことはもちろん、そして何より私自身が「彼と話がしたい」と考えて中国語を学ばなかったことに対して。そうすれば、彼ともっと仲良くなれたのかもしれない。お互いの違いを認めて、彼のことをより理解出来たのかもしれない。

小学生の私にとって彼との間にそびえる「言葉の壁」はとても高いもので、越えることは自分にはできないと最初から諦めていたのかもしれない。いや、それよりも「日本に来たのだから日本語を喋れるようになること、日本の慣習に従うのは当然のことだ」と決めつけていたのではないだろうか。    

彼がその壁を乗り越えたのだから、今度は私の番である。

そして私は今年の春から大学に進学し、第二外国語として中国語を学び始めた。なぜ中国語を学ぶのかと聞かれたら、「中国語を話す人との会話を楽しみたいから」と答えている。その動機の根底には「彼」を通して感じた「「言葉の壁」を越えたい」という思いが今も息づいているのだろう。そうであってほしいし、これからもその思いを忘れないようにしていきたい。

人民中国インターネット版

 

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