呉下の阿蒙にあらず

山本勝巳

 中国は恐ろしい国――日本の対中報道は経済発展を背景に、野心的な外交政策や強硬姿勢、人々のマナーの悪さを指摘するだけで、ネガティブな印象しか与えない。一方で、中国人観光客の日本訪問数は昨年700万人を突破し、右肩上がりの状態だ。交流の最前線は政治・経済から離れ、私達の身近な所まで迫って来ている。中国人を職場や学校、観光地で見た事や接した事が一度もないという人を探す方が困難な時代になった。

 隣国の恐ろしい国から押し寄せる人々。「お金さえ落としてくれればいい」このような安易な考えで相対してはいないだろうか。また、日本の価値観を必要以上に押し付けたりしてはいないだろうか。一方通行な思惑ではなく、歩みよる姿勢、「変わる」姿を打ち出さなければならない。

 「変わる」と言う言葉を聞くと、一人の中国人留学生・楊さんが思い出される。私は大学職員として留学生の対応をしていたが、「90後」と呼ばれる二十代の若者が、紆余曲折しながら、日本生活に適応していく姿を多々見て来た。その中でも彼女が私に与えてくれた思い出は印象深い。

 出逢いは最悪と言っていい。入学試験の際、試験教室は入室後、携帯電話の使用は禁止なのだが、有ろうことか教室内の写真を撮影し、SNSにアップしたからだ。偶然、私が投稿を発見し、削除を要請。「試験中は使ってない」と主張し、思い出を消したくないと躊躇う彼女を強く指導した事を覚えている。

 その後、入学したものの講義はサボり気味で、学内での友人関係もうまく言っているように見受けられなかった。思えば最初の印象が悪かったせいで、私や担任の先生も含めて、厳しく彼女に接しており、日本語がまだ上手く話せない劣等感も手伝って、学校が楽しくなかったのだと思う。

 転機は彼女が入院した事だった。夜中に腹痛を訴え、緊急搬送されたためだ。連絡を受け、慌てて病院対応に駆け付け、医者から検査の説明や治療計画書、入院での決まり事を辞書片手に一生懸命通訳した。検査の結果、命に別状がない事が解り、結果を伝えるため、ベッドに横たわる彼女に目をやると、泣きそうな顔でこちらを見ていた。

 理由を聞くと「山本さんがこんなに自分を心配してくれるとは思わなかった」との答えが返ってきた。堰を切ったように、日本に来てから受けたカルチャーショックも含めて、自身の体験を語りだした楊さん。彼女の心の声に耳を傾けながら、思えばお互い建前ばかりを主張し、厳しく接した本音が伝わっていなかったのだと思い、心の中で詫びた。

 退院後も講義を欠席しがちであったが、それまで私を避けるような態度から、自ら欠席した理由を説明しに来てくれるようになった。心なしか笑顔が増え、次第に友人も出来て行った。翌年の4月。楊さんが先頭に立ち、留学生達を引き連れて「祝你生日快」と、私の誕生日を大学で祝ってくれた。嬉しくもあり、気恥ずかしかった事を今でも鮮明に覚えている。

 今年の4月。私は大学を辞めて中国で日本語教師になる事を彼女に告げた。翌日、楊さんは授業が始まる1時間前に来て、学習スペースで予習をしていた。声をかけると、「もう昔の私じゃないから」と胸を張って答えてくれた。私が故事『呉下の阿蒙』の話をすると、「3年かかったけど、山本さんのおかげで変わる事ができた、ありがとう」と笑顔で話す彼女。私は溢れる涙を堪える事で一杯一杯になった。

 この後、別の留学生から旅立つ私を心配させたくないから、強がって言っていた事を知った。人が人を想い、気遣う姿に国境はなく。90後の若者だから価値観が相容れないといった、先入観が生む誤解があったと思う。感謝の気持ちを不器用でも構わない、素直に伝える事で「変わる」関係がある事を彼女から学んだ。邪魔なプライドは捨て去ればいいと。

日中関係も同じだと思う。日本に来る中国人を括目して相待つべし、新しい日中関係は過去には無く、目の前に来ているのだから。

人民中国インターネット版

 

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