届いた声

本間雅恵

 「知らないことは怖い事」そう感じたことあるだろうか? 私には、それを実感したきっかけとなった忘れられない一つの言葉がある。

   「私たちは平和な時代に被害を受けたのです。賠償するのは当たり前のことです。当時化学兵器を製造していた人には賠償金を支払ったのに、被害者である私たちには賠償しない。私たちは人間ではないのでしょうか?」

  これは、私が高校生の時の先生に教えていただいた『ハルピンからの声』というドキュメンタリーの中に登場していた言葉だ。これは、第二次世界大戦の時に日本が中国に残してきた「遺棄兵器」による被害を受けた人たちに焦点を当てて作成されたものだ。終戦から今年で73年がたつ。それなのに今もなお当時の影響で被害を受けている人がいる、しかも日本は賠償金の支払いを拒否しているという事実は平和な環境で過ごしていた私にとって、あまりに衝撃的なことだった。しかし何よりショックだったのは、自分がこの出来事に関してあまりに何も知らないということだった。日本史の授業などで戦争について扱うこともあった。しかし、知っていたのは日本がアメリカからの空襲や原爆によって大きな被害を受けたこと、老若男女問わずたくさんの人が亡くなったことだった。また、日本も中国をはじめとする対戦国に対し、残虐な手段をとったということも知ってはいたが、抽象的かつ簡単な概要だけしか知らなかった。詳しく習ったのは日本が受けた被害史についてであり、具体的にどのように誰に対して何をしたのかなど加害者としての戦争を私は何も知らなかった。ましてや、今もなお被害を生んでいることなど、想像もしていなかった。小さい時から慣れ親しみ、私にとっては家族も暮らしている国でありながら知らなかった自分に恥ずかしさを覚えた。

日本は世界的に見ても平和な国だといわれている。実際、戦争もなく絶対的貧困といわれる状況も起きていない。日本では、戦争は過去のものであり、忘れてはいけない歴史として刻まれている。確かに歴史は忘れてはいないのかもしれない。しかし、今も苦しむ人たちがいることを忘れてしまっている、あるいは存在を無視してしまっているように感じる。自分たちのしてしまったことに目をつむり、平和だと思いながら過ごしている自分に嫌気がさした。それと同時に湧き上がってきたのは、このままではいけないという使命感に似た感情だった。

よく聞く言葉に「相手を知ることからすべてが始まる」というものがある。日本でよく聞く中国のイメージを考えてみると、マナーが悪い、うるさいなどの悪いイメージが多い。しかしそこに、私が実際に現地で感じたことを加えてみる。出会った人たちのことを想像してみる。日本の文化が大好きだといっていた女の子、子供を叱る親、孫思いの優しい年配の人、家族団らんの風景を見てほほ笑む店員。日本で見える景色と何ら変わらないことに気付く。こうして少し立場を変えるだけで簡単に見える世界が広がるのだ。戦争についても同じことがいえると思う。あの大戦において一方的に被害を受けたわけではないことは想像がつく。日本が誰に対し、どんな理由で、何をしたのか。その歴史的事実を多角的に知る必要があるのだと思う。あのドキュメンタリーから聞こえてきた怒りの声の底には深い悲しみや憤りが感じられた。私にはその声は日本人がその事実を無視し、知ろうとしていないことに対しての嘆きの声に聞こえた。

日本と中国の交友の歴史は長い。過去に起きてしまった歴史を変えることはできないが、過去の出来事が持つ意味を修正することはできるはずだ。届いた声を無視するのではなく、互いの心の声に耳を傾け、聞こうとすること。相手を理解し、知ろうとすること。そしてそれらを共有し、彼らの悲しみの声に対し誠意をもって答えていくことが必要なのだ。怒りの声ではなく、親しみの声がいつの日か響くように。

 

人民中国インターネット版

 

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