私と中国の出会い、私と中国を結ぶもの

木村吉貴


突然ですが、私は元来ずっと柔道をしておりました。3歳の頃から父親の勧めで習い始め、中学、高校、大学、社会人と一貫して柔道選手としてのエリートコースを歩んできました。大学卒業間近の頃には夢であった国際大会にも出場して金メダルを取り、かつ卒業後の進路も既に決まっていて、社会人になっても選手として柔道を続けよう順風満帆に自分の道を進んでいた矢先、私の歩む道を変えたある出来事が起こりました。それは「東日本大震災」です。私の故郷である宮城県石巻市は壊滅的な被害を受け、震災発生当時は家族と連絡を取れず、また私も「帰宅難民」になってしまいましたので、柔道どころか、私生活も危うい状況に陥りました。そんな状況下でも無事に卒業証書を頂き、就職をしましたが、まだ家族とまともに連絡を取れるような状況ではありません。それに追い打ちをかけるように私は病を患ってしまい、柔道どころか、普段の生活もまともに送れなくなってしまい、泣く泣く「柔道選手」という道を放棄することにしました。

しかしこの時、もう次に歩む道を決めておりました。それは「語学」です。留学をして外国語を勉強し、「外国語」を武器にして第二の人生を歩もうと決意していました。震災が発生した2011年、震災の影響と自分の病気の治療で約1年半、勉強を続けながら留学の計画を考え、留学先を決めた日からまた約1年程留学の費用を貯める為、住み込みで出来る震災復興関連のバイトを通し、勉強をしながら昼夜働き留学費用を貯めました。

留学先の学校も決め、手続きを終え、あとは日本を離れる日を待ちながら過ごしていたある日、私がかつて所属していた大学の柔道部の先生から連絡が入りました。お話を伺ってみると「震災復興の関連で中国の少年柔道チームが宮城県で開催される試合に出場します。紹介してあげるから、木村君も是非来てください」とのことでした。日本を離れるまで約1ヶ月。まさか自分の地元で運命を大きく変える出会いがあろうとは夢にも思っていませんでした。

大会当日、会場に行ってみるとそこで出会ったのは大学の学科の授業で一緒に柔道の授業を受けていた中国からの柔道研修生でした。お互いに「あー!!!」となり、私が中国に留学に行く旨を伝えました。そして「一度道場に来てください」というお言葉を頂き、留学先に行く前、そして留学生の時も夏休みや冬休みの長期休暇の際はずっとこちらの道場で柔道をしながら過ごさせて頂きました。この道場はやがて私の職場となり、日本に帰国した今でも「日本人教師」として道場には私の札がございます。そしてこの道場の名前は「日中友好青島柔道館」という柔道を通して日中友好を願う人々が創立し、また地元の子供たち、学生たちに日本の文化でもある柔道を通して、礼儀正しい人間教育を目指す場となっております。私と青島の先生が初めて出会ったあの日も青島で柔道を習っている子供たちや父兄さんが私の故郷の為に集めた「義援金」を届けて来て下さった為でした。私は現在もう日本に帰国しましたが、今でも青島柔道館館長でもあり、中国女子柔道国家代表チームの監督でもあった「徐殿平先生」や名誉館長でもあった「崔永元先生」等の諸先生方が私に教え諭して下さったことを心の支えとし毎日を過ごしております。あの日あの時青島の皆がしてくれたように私も現在はお仕事で中国関連を担当し、また地元、石巻地区日中友好協会の理事及び青年部長として、また宮城県日中友好青年委員会の副委員長として日中友好の為、日々精を尽くしております。私と柔道、そして中国を結ぶ関係はまだまだこれからです。青島でしてきた経験を日本でも生かしこれからの未来を担う若者として、「日中友好」を人生のテーマにして生きていきたいと思います。

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