武漢への旅

新斗米創


私は昨年の夏、武漢を旅行した。三国志ファンの私にとって武漢は聖地であった。三国時代に現在の武漢の郊外で有名な赤壁の戦いがあり、その古戦場が今もなお残っている。せっかく中国留学しているのだから武漢に行かずして帰国するのは論外だと思い、夏休みが始まると同時に武漢行きの寝台列車に飛び乗ったのである。武漢のホテルで、古戦場に立つ自分を想像しニヤニヤしていた。

翌朝、漢口駅に向かった。漢口駅から赤壁の最寄り駅まで新幹線で行こうと思ったのである。切符を買うため売り場に向かったが、そこには既に長蛇の列ができており、事前に買っておけばと後悔した。前方の売り場では客と駅員が喧嘩を始め、早く切符を買ってここから出たいと思った。約30分後、無事切符を買った。これでやっと赤壁へ迎える。高揚感で胸一杯になった私は切符を見て唖然となった。

なんと出発駅が武漢駅になっていたのである。漢口駅から武漢駅までは地下鉄で約1時間かかる。しかし新幹線が出発するまで残り20分もない。タクシーも間に合わない。そういえば切符を買うとき、駅員が怪訝そうな顔をしていたことを思い出して、不意に笑いがこみ上げてきた。

新幹線を諦めたら、タクシーで行くよりなかった。そこで漢口駅周辺をウロウロしていると、一台のタクシーが目にとまった。私が声をかけようとした瞬間窓が開き、

「どこに行く?」

と聞いてきた。赤壁まで、と言うと運転手は何も言わず後部座席のドアを開けてくれた。こうしてやっと赤壁に行けることになったのである。

走り始めて10分後、運転手が突然後ろを向いて

「おまえ、日本人だろ?」

と言ってきた。どうして分かったのかと問うと、どうやら私の中国語は少し「なまり」があるらしい。私の中国語はどこか不自然なところがあったのだろう。思わずうつむくと、運転手は

「おまえの中国語上手いぞ」

と笑って励ましてくれた。日焼け対策だろうか、サングラスをかけ夏なのに長袖を着ていた。見た目は怖いおばさんだが、彼女の柔和な笑みに私も相好を崩した。

それからいろいろな話をした。留学生活のことはもちろん家族のこと、今悩んでいることも全て話した。拙い中国語だったが熱心に聞いてくれた。時折窓から熱風が吹き、顔が火照った。話題が日本のことになると、おばちゃんは急に饒舌になった。娘さんが日本の大学に留学しており、もうすぐ卒業するという。日本に行ってみたいなあ。そうつぶやいたおばちゃんの顔を今でも忘れることができない。

赤壁古戦場を観光した後、漢口駅まで帰ってくる時もおばちゃんのタクシーに乗った。少々ぼったくられたが、長年の夢であった赤壁の地を踏めたこと、そしておばちゃんに出会えたことがうれしくて気にならなかった。駅に戻ると私たちは固い握手を交わした。おばちゃんの手がなんとも温かくて涙が出そうになった。新幹線の切符を買い間違えてよかったと心の底から思った。

今年の一月、中国から帰国した時には、既に武漢でのコロナウイルス蔓延が報じられていた。私は真っ先にあのおばちゃんのことが心配になった。おばちゃんは大丈夫だろうか。WeChatを開いてすぐに連絡先を持っていないことを悔んだ。テレビに漢口駅が映し出されると、怪訝そうな顔をした駅員、長蛇の列に並んでいた名も無き人々全てが思い出されて胸が痛くなり、しかしどうすることもできず、ただ無事を祈ることしかできなかった。それから半年後、コロナウイルスは世界中に蔓延し、終息の兆しが見えない。その代わり私の心の中で希望がうまれた。それはまた武漢に「戻る」ことである。コロナウイルスが終息したら必ず武漢へ行き「ただいま!」と言いたい。喧噪に包まれた武漢の街で熱干面を食べたい。また赤壁と黄鶴楼に行きたい。タクシーに乗り、コロナウイルスという「大きな壁」を越えた武漢に吹く風を浴びながら、運転手と他愛のないおしゃべりをしたい。ああ、武漢に行きたい!

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