コロナから学ぶ日中友好の絆

安田翔


彼との出会いが僕の人生を大きく変えた。

僕は、2017年大学3年の時に半年間哈爾濱に留学をしていた。

そこで出会った現地大学生の名はウーシン(仮名)。

僕が出会った友達の中で、日本語を話せない中国の友達は彼が最初の1人目だった。

僕は片言の中国語しか話せなかったが、そんな僕に対して、ジェスチャーもしながら中国語でゆっくり丁寧に話してくれた。

それはまるで、中国人の友達でありながら、お父さんのような存在に近かったことを今でも覚えている。

一緒にご飯に行ったり、バドミントンをしたりと、言語以外にも色々と通ずるものがあると、その場で感じることができた。

そして、僕の留学期間が終わるタイミングで、ちょうどウーシンも哈爾濱の大学を卒業するということを知った。

僕は、留学が終わった後に、ビザの期限が切れるまでの間、哈爾濱から上海まで真夏の中国縦断旅を計画していた。

どんな旅になるのか、どんな人たちと出会うのか、不安とワクワクの中、出発する準備をしていた。

哈爾濱を発つ一週間ほど前に、ウーシンに、一緒に旅をしたいという旨を伝えた。

ウーシンの親戚の家は大連にあったため、そこまでなら一緒に旅をできるとのことだったので、共に卒業旅行として、急遽、共に旅をすることになった。

長春のゲストハウスでは日本人の方と出会い、「YOUは何しに中国へ?」という日本のとある番組を模して、たくさん質問などをした。(YouTube「日中踏ん張りCHANNEL(加油中日)」に公開中)

吉林では、鳩肉を食べたり、以前、日本で知り合った中国人の友達と会い、バドミントンをしたり、大学の見学をしたりして充実した旅生活を送った。

瀋陽では宿を探すのに何時間もかかり、その瞬間では辛かったが、振り返るといい思い出だ。丹東では、中国と北朝鮮の国境付近で日中友好の思いを空に向かって叫んだ。

とにかく、やる事なす事、青春ドラマの一部を切り取ったようなものだった。

そして、僕らはいよいよ大連に到着し、ウーシンの親戚の家で一泊して、

その翌日、再会を誓って、大連駅で別れたのだった。親戚の家から大連駅までの間、

重いリュックを背負ってくれたのを今でも鮮明に覚えている。

あれから、3年の月日が経ち、今、ウーシンは武漢大学に通っている。

あの時、僕らが別れる前に、ウーシンが武漢に行くという事を直接聞いていたのを思い出したのは、20201月末だった。ちょうど、新型コロナウイルスの感染拡大で騒がれ始めていた時だ。

そこで、急いで、ウーシンに今どうしているか連絡をしてみることにした。

幸いにも、彼は、武漢の大学から離れ、実家に避難していたようだが、残念なことに、もうマスクが残り数枚しかなく、このままではずっと外に出る事ができなく、武漢の大学に戻ることすらもできなくなってしまうという内容のメッセージがきた。

そこで、今、自分に出来ることは何かを考えた結果、ウーシンにマスクを送ってあげることだった。

まだ、日本ではそこまで危機感がなかったこと、それから、僕が住んでいた場所が北海道のど田舎だったことから、お店に箱入りのマスクがまだ売っていたため、そちらといくつか日本のお菓子も入れて送ることにした。

EMS(国際スピード郵便)で送付したが、それでも混み合っていたため、ウーシンの家に到着するまでに1ヶ月かかった。ただ、無事に到着することができたのはなによりだ。

数日後、ウーシンはお礼のビデオメッセージを送ってくれた。

すごく感動したのを今でも覚えている。

それから、ウーシンから教わった言葉がある。

『雪中送炭(xuězhōngsòngtàn)』

この言葉を忘れず、仮に国境が引かれていても、目の前に困っている人がいたら、お互い助け合える精神を持ち続けていきたい。新型コロナウイルス で辛い思いをされた人が多数いると思うが、そこから学ぶべきことも多かったと今は思っております。

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