可遇不可求のふたり

成瀬 流奈

 

 

可遇不可求

これは、私に初めてできた中国人の女友達が教えてくれた言葉だ。私は彼女のことを親愛の情を込めて「姐姐」と呼んでいる。姐姐は日本文化と日本語に興味を持ち、地方の国立大学で日本語学を専攻する留学生だ。かたや私は関東の音大に通う音大生で、何の接点もないように思える私たちだが、ふとしたきっかけからSNSを通じて知り合った。

私にとって「中国」は行ったことのない遠い国でありながら、どこか懐かしく親しみを感じる不思議な国だ。桃花源記などの文学、福建土楼などの建築物、漢服や伝統音楽はもちろん、現代のC-POPや華流ドラマなど、多方面で私の琴線に触れ「もっともっと深く知りたい」と思える国なのだ。姐姐は幼い頃にテレビでウルトラマンを見て、すっかりファンになったという。中国語吹き替えでの視聴だったため中国の作品だと思っていたウルトラマンが、実は日本のテレビ番組だと知って「どうしても日本に行ってみたいと思ったのが始まりだった」と話してくれた。互いが互いの国の文化に興味を持ち、もっと知りたいと思っていた私たちが親しくなるのに、そう時間はかからなかった。しかも彼女の日本語は上級レベルに達していて、コミュニケーションには全く苦労しなかった。

そして私は音大でヴァイオリンを専攻しており、彼女は二胡を演奏し、互いに弦楽器が大好きで、他にも驚くほどたくさんの共通点があった。彼女が「あなたはもうひとりの私みたい」と言うので、2歳年上の彼女を私が「姐姐」と呼ぶようになったのだった。

ある日、姐姐が大学の授業で出された課題のレポートを書くのに苦慮している、と言ってきた。それは「人称と可能表現の関係について」というテーマだった。何と難しい課題、と私は思った。普段何気なく使っている日本語。文法なんて全く意識しなくても会話には困らない。というか、高校での授業以来、日本語についてそんなに深く考えたことはなかった。恥ずかしながら私は、その場ですぐ何か答えることはできなかった。そこで色々と調べ、自分なりにアドバイスをした。すると彼女は「助かった」と喜んで、とても感謝してくれた。でも、そのとき私は思った。感謝すべきは自分のほうだと。確かに姐姐のために調べたことではあるが、彼女に言われなければ私がこんな風に日本語と向き合うことはなかった。そして姐姐のために調べたことが、同時に私の中にも新たな知識としてアーカイブされたのだから。

私はヴァイオリンの他に楽曲制作も学んでいるのだが、姐姐との交流に刺激を受けてか、インスピレーションから何となく中国の雰囲気を纏った歌が出来上がった。試しに姐姐に聴いてもらおうと、その楽曲を送ったところ、何と彼女が中国語の歌詞をつけてくれた。まさか歌詞を考えてくれるなんて思ってもみなかったので、とても嬉しかった。日本語で韻を踏んでいるところはきちんと中国語でも韻が踏まれていたし、何より歌詞だけ送られて来たにも関わらず、音にピッタリはまったので、中国語学習初心者の私にもすんなり歌えたことが驚きだった。完成した曲を私が歌うと「半分くらいはそれらしく聞こえる」と姐姐は言った。やはり中国語の発音は難しい。でも姐姐が私と何不自由なく日本語で交流できるように、私も不自由なく中国語でコミュニケーションできるようになりたい。私たちは勉強や趣味のことだけでなく、ジェンダーや環境問題など様々な事柄をテーマに、互いの話を聞き、意見を交わしている。姐姐は私の話にしっかりと耳を傾けてくれるし、私も彼女の考えを聞きたい。昔、日本と中国の間にどんなことがあったとしても、現代の双方の国の偉い人たちがどんなことを言い合っているとしても、私たちには関係ない。

私たちは「可遇不可求」の仲なのだ。努力したからと出会えるわけではない、出会うべくして出会えた相手。中国への思いと同様、私は姐姐との出会いを、一生ものだと思っている。

 

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