「虚往実帰」

加藤 佳瑞弘

 

「虚往実帰」これは弘法大師空海が「荘子」から引用した言葉である。行きは不安で虚しい気持ちだが、師や先生の教えを受け、充実した心で帰る、という意味である。この言葉には、遣唐使として唐に渡り様々な知識を日本に持ち帰ってきた空海自身の感慨が込められている。空海はもともと医薬の知識をかわれて遣唐使に推薦され、唐で最先端の医療知識を学び日本に持ち帰る役目があったという。彼は医学薬学に加えて、密教、土木技術なども習得し、その後の日本が発展する基礎を築いた人である。

私は現在大学2年生であり、医学を学んでいる。小学生の時に「中国名医列伝」という本を読んだことが、医学を志したきっかけである。この伝記中に、華佗(かだ)という天才的な医師の逸話が紹介されていた。華佗は高い診断能力を持っていた。患者の脈や舌を診たりするだけで患者の予後を見抜き、役に立つ助言を与えた。それだけでなく、麻沸散(まふつさん)という麻酔薬を発明した薬の達人であり、世界初の全身麻酔による開腹手術を成功させた外科医でもあった。華佗の卓越した能力に憧れた当時の私は、手当たり次第に植物をすり潰し、麻沸散の作り方についての考察を学校の作文集に載せてしまうほど、医学や生薬に関係することに夢中であった。

大学入学後、第2外国語は中国語を選んだ。華佗の一件から、私は中国の医学薬学に興味を持ち、中国に行って詳しく学んでみたいと思うようになっていた。ただ、大学入学まで中国人の知り合いは一人もおらず、自分が中国語を使いこなせるようになるのか不安なまま、中国語学習がスタートした。

いざ学んでみると中国語は非常に美しい言語だった。整然と並んだ漢字の列は、高校時代に学んだ漢詩と同じ形式美を持っていた。さらに声調に注意して話す場合、初めのうちはカラオケで音程を気にして歌っているような気分だったが、慣れてくると自然なトーンやリズムが馴染んできて、心地よいメロディーを口ずさんでいるような気がしてくる。論旨の明快さも中国語の魅力の一つである。伝えたいことを対比や故事を用いて説明することが多いため、とてもわかりやすい。

中国人の先生や友人に出会えたことも大きな学びにつながった。私が初めて会った中国人は偉さんという留学生だった。彼女は中国の大学で日本語学科に通う学生で、驚くほど日本語が上手だった。お互いがお互いの母語を教え合う約束をして、私は偉さんから中国語を学び、偉さんには日本語を教えた。偉さんの指導のもと、初めは苦手だった「r」の発音も次第に上達し、私の語彙力は少しずつ増えていった。初めて会ってから数ヶ月が経過し、偉さんが帰国する頃には、私は中国語でごく簡単な会話ができるまでになっていた。そして、出会ったばかりの頃は中検4級に不合格だったが、偉さんが帰国後も学習を続け、同じ年のうちに3級に合格することができた。これは本当に大きな自信につながった。偉さんとは今でも連絡を取りあい、お互いわからないことなどを質問しあっている。

中国語を通して私が学んだことは、「虚往実帰」の精神である。新しい環境に行こうとする時、最初は誰でも空っぽで、不安ばかりが募る。しかし、学びを継続し、師匠や先生、友人から教わる姿勢を貫けば、どんな困難も乗り越えて結果を出すことができる。

未熟な私は、まだまだ学ぶべきことが山のようにある。実際に中国大陸に行き、自分の目で見て自分の足で確かめたいことがある。例えば、中国の伝統医学の理論を学び、実践してみたい。中国から遥かヨーロッパまで続くシルクロードの上に立ち、地球の大きさを味わってみたい。もっともっと中国語でコミュニケーションがとりたい。

これからはどんな時も「虚往実帰」の精神で、無邪気に空っぽの心で歩んで行こう。出会った人とのご縁を大切にしよう。学びを深め、満ち足りた足取りで帰ってこよう。

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