運命の出会い

築切 佑果


私は以前、湖北省の恩施土家族苗族自治州という片田舎にある大学で日本語教師をしていた。そこは湖北省でありながら、四川や重慶に近いことから、食べ物はどれも辛く、おまけに塩気も強い。山に囲まれているため、雨がとても多く、何だか気分も上がらない。地元の人はみんな方言で話すため、一生懸命勉強した中国語も全く通じない。慣れない土地での生活に、念願かなって中国で日本語教師になれたのに、日に日に後悔の念が強くなっていった。当時の私は学生たちと打ち解けておらず、授業以外も一人で過ごすことが多く、孤独にも拍車がかかった。

そんな私を救ってくれたのは当時一年生の学生たちだった。9月に入学した彼女たちは、簡単な挨拶やひらがな、カタカナの勉強から始めて、12月頃には日本語で簡単なコミュニケーションが取れるようになっていた。中国では大学入学試験の点数が足りなければ、地元から遠く離れた志望していなかった大学の志望していなかった学科に振り分けられることもある。日本人には残酷に思えるが、学生たちは口を揃えて平然と「運命だから」と答える。そんな彼女たちにとっても、親元を離れてこの町で大学生活を送ることは容易ではない。彼女たちの日本語が上達するにつれて、私たちはこの町で生活することの困難や不満を色々と話すようになった。私は今まで心の中で抱えていた気持ちを明かせたことで、ずいぶんと心が楽になった。いつしか私たちは学生と教師の関係というより、家族のような、時にはこの町を共に生き抜く戦友のようになっていった。

住めば都で、赴任して3年が経つと、この町の生活にも慣れてこの町の魅力をたくさん見つけることができた。知らず知らずのうちに学生も私も辛い料理が好物になっていた。長雨が続いた後の青空と空気は清々しい。相変わらず、娯楽はないが、学生と過ごす時間が私にとって何よりも楽しかった。湖北省の田舎町で私たちが出会えたのも何かの「運命」であろう。卒業後、学生たちは湖北省内の高校で日本語教師になったり、上海や広州などの大都市に出て就職したり、大学院で日本語の勉強を続けている学生もいる。 

2020年、今年は湖北省で働いていた私にとって、忘れられない年になった。そう、コロナウイルスの流行だ。私がいた町は武漢から離れているが、大都市と比べると医療体制も脆弱だ。年始に武漢で謎のウイルス感染者が確認されると、毎日SNS上ではそれに関連する投稿で溢れた。卒業生たちは大丈夫だろうか。学生たちのグループチャットにメッセージを送ると、みんな「大丈夫」と言うが、まだ不確かな情報が錯綜していた時期で、不安だけが募った。間もなくして、日本国内でもコロナウイルス感染者が多数確認されると、学生たちはすぐにメッセージをくれた。中でもある学生からのメッセージには心打たれた。それは日本語で2000字以上の長文で、コロナウイルスが流行り始めた頃に彼女が武漢に遊びに行っていたこと、地元に戻った後、自分が感染していないか不安だったこと、中国国内における武漢への支援、日本政府や国民がコロナウイルスを軽視し過ぎていること、最後にはコロナウイルスの特徴と予防方法が書かれていた。その文面からは緊迫した状況が伝わってくる。在学中、彼女は決して日本語が得意な学生ではなかった。そんな彼女が2000字を超える長文を全て日本語で書いてくるなんて、ただ事ではない。私は事態の深刻さを痛感し、翌日にはマスクを買いに走った。マスクが日本中の店頭から消えたのはそのすぐ後のことだった。この半年間、未知のウイルス流行の恐怖や自粛生活のストレスなどに負けそうなこともあったが、学生からのメッセージに何度も励まされた。コロナウイルスが終息したら、湖北省で卒業生に会いたい。今の私の一番の願いである。

 

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