パンダを守るためには

上村悠菜

私は動物でパンダが一番好きだ。日本に初めてパンダがやってきたのは、一九七二年九月の日中国交正常化を記念して中華人民共和国から贈呈された時だ。日本では生息しておらず、白地に耳、目の周り、鼻、手足が黒色の愛らしい生き物である。初めてパンダを認識したのは幼稚園の頃で、両親と上野動物園(東京都台東区)に行った時だ。ガラスの向こう側でムシャムシャと笹を頬張っていた。自分よりも大きな動物が草を食べていることに驚いた記憶がある。その後も度々動物園を訪れては可愛らしい様子を観察した。その後、父のアメリカ赴任に伴い、小学校は現地校に通った。小学一年生の遠足でアトランタ動物園(ジョージア州)に行った時にも会うことができた。まだ海外生活に慣れていない私は、パンダが様々な国で元気に生活している姿をみてとても励まされた。

パンダは、とてもデリケートな生き物である。私達人間よりも繊細な生き物であるのではないだろうか。繁殖は特に難しく、今でも出産時には、中国・成都にある大熊猫繁殖研究基地から研究員が来日しサポートをする。パンダの赤ちゃんは体長十五センチほどの小さな体で生まれるため、飼育下でも死亡率が高く、生後一週間は魔の一週間と呼ばれている。そのため、生まれた赤ちゃんの健康状態を見る必要があり、気が立っている母親から一時的に取り上げるのは経験豊富な中国人研究員が行ってきた。しかし、二〇二〇年は新型コロナウイルスの影響で来日出来ず、アドベンチャーワールド(和歌山県白浜町)では、初めて日本人スタッフだけで出産を乗り越えた。事前に実物の大きさに近いぬいぐるみを用いて本番をイメージしながら何度も練習したそうだ。ピンチをチャンスだと捉え、若手からベテランまでスタッフ一同一丸となって取り組んだ結果、すくすくと成長している。緊急事態宣言中の現在は難しいが、近い将来成長した赤ちゃんパンダや母親の姿を見に行きたいと思っている。

二〇十二年に上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれるも生後六日で急死した悲しい出来事があった。ちょうどその頃に上野を訪れており、街の歓迎ムードを味わったばかりだったので、悲しみがより一層深まった気持ちを思い出した。その後、二〇十七年に無事赤ちゃんが生まれ、現在四歳となった。本来なら満二歳になった時に中国に返還される予定だったが、新型コロナウイルスの状況をふまえて、二〇二一年十二月まで延期となっている。最近のニュースで、メスのシンシンに妊娠兆候が確認されたそうだ。自粛生活で疲れ気味のところに嬉しい話題である。偽妊娠の可能性もあるので、妊娠確定ではないが、大いに期待している。

パンダは、中国内の標高一三○○から四〇○○メートルの山岳地帯に生息しているが、生息環境の森の伐採や狩猟などにより、絶滅危惧種となっていた。しかし中国が五つの対策を実行したことにより、二〇一六年に絶滅危惧種から危惧種に引き下げられた。国内十三か所に自然保護区を設立。保護区周辺の農民に補助金を支給。海外のNGOを迎え、専門知識を共有し、メディアでアピール。パンダをレンタルする事で資金を調達。保護活動の更なる継続。以上の対策が功を奏している。

いつまでもパンダが地球上で生きていくためには、私達が今からでもできる事を考えなくてはいけない。自然に触れる事で自然界に起きていることを身近に感じる。季節に採れるものや無駄な加工のないものを選んで食べる。環境を考えた製品を購入したり、環境保護活動している企業を応援する。ゴミの分別や軽減だけでなく、清掃や植林活動に参加する。絶滅危惧種の知識を周りに伝えていく。以上の五つのことを常に考えて行動していこうと思う。

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