私のユメ

齊藤佐也加

祖父がいつもの、海が見える窓辺の椅子に座っている。窓が少し開いていて、夏の夕方の、眠気を誘うような風が、薄い生地のカーテンをゆったりと揺らしている。しわしわの手には数枚重なった手紙があり、祖父はうれしそうに、目のしわを手以上にくしゃくしゃにして、それを見ている。手紙はすべて漢字でびっしり埋まっていて、遠くから見たらただの真っ黒な紙に見えるに違いない。ああ、おじいちゃんの友達からか。私はすぐにわかった。祖父は一つ一つの字を、まるで読み終わったら消えてしまうのかと思うほど、ゆっくり、ゆっくり、目でなぞっていく。映画一本分ぐらいのたっぷりの時間をかけてようやく手紙を読み終えた祖父は、その倍以上の時間をかけて(三部作の映画も見終えることができるに違いない!)返事の手紙を書いていく。手紙の返事を書いている祖父の表情は、なんだかすごく若く見えた。町中で友達と話を弾ませている若者みたいな、大学の授業を受けている生徒みたいな。手紙を書き終えた祖父は、一息つくように顔をあげる。そして、階段の横の壁からちょこっと顔だけを出して祖父を見つめる幼い私を見つけて、またくしゃくしゃの笑顔を浮かべるのだ。私は祖父のその顔が好きだった。

目が覚める。昼寝のまどろみからまだ抜けだしきれない私は、そのままごろんと横を向いて、ゆったりと揺れるカーテンを見つめた。

祖父が亡くなったのは、十年前の冬のことであった。当時、小学三年生であった私が、人生で初めて家族を亡くした日だ。私が祖父という一人の人間についてちゃんと知ったのは、祖父が亡くなった後のことだった。祖父は中国の北京郵電大学に留学していたらしい。中国で働いていた時期もあったそうだ。その頃にできた中国人の友達と、祖父は晩年まで手紙で交流を続けていた。私がこんな夢を見たのは、この話を聞いていたからなのだろう。この夢は、私の記憶と知識とが混ざった妄想だ。実際の記憶ではない。ではなぜ、今になって私はこんな夢を見たのか?私はすぐにわかった。後悔しているのだ、祖父が生きている間に中国でのことや、あの真っ黒な手紙(私の夢の中でだが)の送り主について聞かなかったことを。

私は今、大学一回生で、主に中国について学んでいる。私が入学前に、大学では主に中国について学ぶということを伝えたとき、母や母の姉は「なんだか縁を感じるね」と話していた。私が中国について学ぼうと思ったきかっけは、一つは、言語を学ぶのなら一人での習得が難しいものにしようと思い、結論として中国語に至ったこと。そしてもう一つが、(こちらが私が中国について学ぶ決定打となった)、日本人の中国に対する根強い偏見への疑問である。

「あんまり中国人と関わらないようにしなさい。中国人がいるバイトなんてダメよ」

ある人が私に言った。

「中国人は怒りっぽくて嫉妬深いらしいよ、気をつけな。」

またある人が私に言った。

きっと祖父が聞いたら心を痛めるだろう。いや、逃げる孫たちを追いかけ回して頬やら鼻やらにキスをするような情熱的な祖父のことだ、顔を真っ赤にして怒るのかもしれない。もしかしたら祖父もこのような発言を聞いていたのだろうか?今となってはわからない。

しかし、このような発言を聞くたびに、私は疑問に思うのだ。中国には、“中国人”というひとつの生命体がいるのではなく、私たちと同じように一人一人の人間が生きている。怒りっぽい人もいれば、穏やかな人もいる。嫉妬深い人もいれば、おおらかな人もいるだろう。これは日本人も同じことだ。このことを、最近の人々は忘れているのではないか、と。国同士の仲を個人にまでもってくる必要はないだろう。メディアや風潮に惑わされずに、私は常に自分の目で人を、国を、世界を見たい。そう思いながら、私は今日も大学で学ぶ。

いつか中国に行く日を夢みて。

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850