もう1人の「ワタシ」

 中山裕貴

 私は幼い頃から人見知りであった。相手の反応が怖く、自分を否定されることを恐れていたためだ。しかし周囲の人は多くの友達と盛り上がっており、それは私の理想であった。自分だって本当は多くの友人に囲まれて共に笑い合いたい。しかし、話し相手が自分に全く興味がないのに自分の理想を押し付けていたとしたら…。そう考えると、私は自分の感情を抑えつけ、行動しないことを選んで、プラスこそないがマイナスの感情を感じずに済む、という心の状態を自然と選んでいた。数少ない友達から「考えすぎだよ」と言われることがあっても、自分の行動が大きく変わることはなかった。

 そんな私の考えが変わり、新たな自分に出会うきっかけを与えてくれたのが、中国であった。

時は201911月。大学で中国語を学習して約半年が経った頃、私は友達3人とともに北京を訪れた。万里の長城の観光を終え、北京に戻るバスを待っていた時のこと。後ろの中国人団体客が「前の人たち、どこの人だろうね」「たぶん韓国人よ」と話しており、韓国人として話が進んでいくのがなんとなく分かった。私は聞かぬ振りができなかった。自分がどこから来たか、この人たちに知らせたい…!そう思ったときにはすでに口は動き出していた。

 「我来自日本!」

 その時私は、この言葉を発したときに相手がどんな反応をするだろうか、そして、この中国語が文法的に合っているか、正しい声調か、そんなことは全く考えていなかった。人に衝動だけで声を発した、初めての瞬間であった。ところが、彼らの反応は日本人の私が想定しうるものとは全く異なっていた。「そうなの?!珍しい!しかも中国語話せるの?!」。私は自分が先ほど発した言葉の良し悪しを反省する暇もなく「是的。我学了半年汉语了。…」と、今考えても信じられないほど言葉を矢継ぎ早に繰り出していた。自分の言葉が通じている。母国語でない言葉で現地の一般人と意思疎通が取れている。相手の会話がだいたい聞き取れる。あらゆる感情が私の中からこみ上げてきた。

その後、彼らは日本人のスマホの中身に興味を持っていたようで、私がLINEを「日本的微信」と紹介したら皆が一斉に笑ってくれた。私も思わず笑った。そして最後には「一緒に写真を撮ろう!」と言ってもらい、彼らと写真を撮った。私は心が温まる、という状態を通り越して泣きそうだった。自分の中国語や、中国へ観光に来たことをこんなにも歓迎してくれるのか。そして何より、人と心が通じ合うことは、これほどまでの歓びを感じるのか、と。

 帰りのバスの中で、私は先ほど感じた激しい歓びの余韻に浸るとともに、『理想の自分』について考えていた。そして、真っ先に思い出したのが「日本的微信」だった。確かにあの瞬間、中国人たちと1つになれたと確信している。しかし彼らはなぜ笑ったのか?もしかしたら「日本的微信」という言い回しがおかしくて笑ったのか?他にも様々な考えが脳内を駆け巡る。しかし、ここで私は「考えすぎじゃないか?」と初めて自分自身で思うことができたのだ。もっと本能のままに行動に移してもいいじゃないか。広大な中国大陸は私を受け止めてくれたのだから。私は、北京に到着したバスを降りると、先に下車していた彼らに駆け寄り「谢谢!」と言葉をかけた。先ほどは興奮して余裕がなかったが、ようやくこの体験が自分にとって宝石よりも尊い体験であることに気づき、心からの感謝を伝えたくなっていたのだ。彼らがこの言葉に返してくれた笑顔は一生忘れることができない。

 こうして私は、中国語を話す自分、そして何より、中国語を通じて他者と自然に交流できる自分を「もう一人の理想の自分」として迎えることができた。さらに「新しい自分」の成功体験がきっかけで、日本人の私も徐々に変わり始めている。私にとって中国とは、新たな世界の発見だけではない。新たな自分との出会いでもあった。

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850