“あたりまえ”だった日常

 加藤麻子

 2015年8月。それは誕生日旅行で東京に行った時のことだった。北海道で生まれた私は今まで体験したことのない灼熱の中、浅草に訪れた。江戸時代から繁華街として栄えてきた浅草に興味があったからだ。私は浅草駅に降り立った瞬間、まず衝撃を受けた。なぜかというと、周りから聞こえてくる言語がすべてと言っていいほど中国語だったからだ。笑い声があふれ、元気で威勢の良い中国語。それは日本の街を明るくしているように思えた。私はそのような状況に驚いたと同時にとても嬉しい気持ちになった。中国人観光客の方たちが神社でお参りをしたり、食べ歩きなどをして、楽しそうに日本の文化と触れ合っていたのだ。当時12歳だった私は、未熟ながらも日本人としてとても誇らしい気持ちになった。外国人の方が日本の文化や風流を楽しんでいる姿を目の前にして純粋にうれしかった。その時からだっただろうか、私が中国に興味を持ち始めたのは。

 そして時は流れて2020年3月。ちょうど新型コロナウイルスが流行し始めた時期であった。私は兄に会いに再び東京へ行った。ワクワクとドキドキを胸に飛行機に乗った。しかし、東京に降り立った瞬間、私は唖然としてしまった。いつもたくさんの観光客で賑わっている羽田空港は新型コロナウイルスの影響で人気がなくなり、お土産屋さんも活気がなくなっていた。さらに、5年前に訪れた浅草にも外国人観光客の姿はなく、中国語が聞こえてくることはなかった。東京だけでなく、地元・札幌の観光名所も人気がなくなってしまった。いつもは賑やかな観光名所の「狸小路」も閑散としていた。そんな変わり果てた観光地を目の前にして、私は寂しい気持ちと恋しい気持ちでいっぱいになった。よみがえってくるのは5年前のたくさんの中国人で溢れていたあの光景。元気で威勢のいい中国語。中国人観光客が楽しそうに日本の文化やショッピングを楽しんでいたあの光景。デパートや家電量販店での中国語のアナウンスすらなくなってしまった。

 そして20204月。コロナウイルスの影響で何度か休校したものの、学校が再開した。私は高校の選択科目で中国語を習い始めた。中国への留学経験がある日本人の先生が中国語の文法や語彙はもちろんのこと、映画や京劇などを通して中国の文化なども教えてくださった。私はまた日本に中国人観光客が増えたときにコミュニケーションを取れたらと思い、中国語を選んだ。しかし、先生が中国に関する情報をたくさん教えてくださったおかげで日本で中国語のスキルを活かすことはもちろん、実際に中国へ行って、たくさん中国人の方とコミュニケーションを取ることができたらという想いが強まっていった。それからというものの、私は家でもYouTubeで在日中国人の李姉妹の動画を見たり、中国語の歌をウクレレでカバーしたりなど、沢山中国の文化に触れ合うようになった。また、ウクレレという趣味を通じてオンラインで中国人の女の子に出会い、今でも定期的にメッセージのやり取りをしている。使う言語は中国語。まだ慣れていない中国語だが、私は習った言葉だけでも相手に伝わる楽しさを彼女とのメッセージのやり取りで感じることができた。彼女はネット友達だが、コロナ禍で寂しさを感じていた私を楽しませてくれた。かけがえのない出会いだった。

 コロナウイルスが流行してたくさんの人が苦しんでいる世の中。これを悲観的に捉える人がほとんどだと思う。しかし、私はコロナのおかげで色々なものを得た。沢山の出会いがあった。中国の文化に浸ることができた。もちろん行事が沢山なくなり、つらい思いもしたが、悪いことばかりではなかった。当たり前が幸せと知ることができた。沢山経験を積む事ができた。しかし、また世界中の国々に安心して旅行できる日が来るだろうか。また世界のどこにでも旅行できるようになったら、中国へ行きたい。それが今の私の夢だ。

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