物乞いから始まった歌と踊り

 青島のもう一つの無形文化遺産である「膠州ヤンコ踊り」は、清代に趙氏と馬氏の二つの家族が「闖関東」(清末から民国時代にかけて、山東省と河北省一帯の人が山海関の東へ移動して生計を立てたこと)の道中で物乞いをしながら歌っていた歌が起源で、徐々に歌いながら踊るスタイルへと発展していったものだ。

 「膠州ヤンコ踊りの一番大きな特徴は『男剛女柔』です。男性は棒を手に持ち、女性たちはスカーフやシルクの扇子を手で回し、リズムに合わせて体を大きく動かします」と市の無形文化遺産伝承者である湯淑敏さん(63)は紹介する。湯さんは膠州市文化館の膠州ヤンコ踊りのボランティアだ。文化館では毎年、膠州ヤンコ踊りの知名度を高めるために、学生やプロのダンサーを招致して無料の膠州ヤンコ踊り教室を開催している。広場の伝統芸能として、膠州ヤンコ踊りはその熱気と活力で祭りやイベントに欠かせない要素となっており、地元市民の間では大きな影響力がある。

 1979年、青島市は下関市と姉妹都市関係を結んだ。2019年10月、両都市の友好関係40周年の記念イベントに招かれた青島市は、イベントの舞台で膠州ヤンコ踊り「楽翻了天」を披露した。当時、日本の観客だった小野恵子さんは、公演を見て、「今日一番印象深かったのは膠州ヤンコ踊りです。リズム感があって、まるで中国版のオペラのようでした」と興奮気味に語った。