ブランドの都

 西海岸新区の「ゴールデンビーチ・ビアガーデン」では、色とりどりの照明が「夜の街」感を醸し出し、人々はビールのグラスを掲げながら、夜空に咲く花火を楽しむ。ここは第31回青島国際ビール祭りの会場だ。

 青島国際ビール祭りは1991年から始まり、世界4大ビール祭りの一つとなっている。今年は、40以上の国と地域から1600種類以上のビールが集められ、会場には九つのテントと32のハウスが設置されている。幅広い年齢層の来場客のさまざまなニーズに応えるため、ライトショー、コスチュームショー、バンドのライブなど、400以上のイベントが催された。アジア最大のアウトドアイベントとして、青島国際ビール祭りは「ビールの都」とたたえられる青島の魅力を生き生きと表現している。

 

 青島ビールの歴史は、中国の自国産業が植民地時代の過去から抜け出し、完全に現地化を実現するまでの苦闘の物語だった。ドイツによる青島占領後、ドイツ兵が故郷のビールを恋しがったため、1903年にヴィルヘルム2世が青島に醸造設備を送り、「ゲルマンビールカンパニー青島株式会社」を立ち上げた。爽快に泡立つこの新しい飲み物は、すぐに町の人気者となり、洋食店から中華料理店まで、至る所で飲まれるようになった。
 ドイツの敗戦後、醸造所は日本に買収された。49年に青島が解放されると、醸造所は「国営青島ビール工場」に改称されたが、ビールの「魂」であるホップは依然として輸入に頼っていた。青島で中国初のホップが栽培され、「青島大花」の名が付けられたのは翌50年のことである。その後多くの国際的なビールコンテストで優勝し、世界各地へと輸出され、多くの人々にとって青島を知る最初の窓口となった。

 1980年代初頭、ビニール袋に入った生ビールを飲む人々の姿は、青島独特の風景となり、「ビールを飲んで、アサリを食べて、海に入る」のが青島の人々の生活スタイルとして根付いた。

 改革開放後、青島には有名なメーカーが続々登場した。その一つがハイアールだ。

 1984年に開業したハイアールは、中国で最初に冷蔵庫を生産した企業の一つだ。当時、国民の家電に対するニーズは大きく膨れ上がったが、生産技術が追い付いていなかった。85年、ハイアールの創業者・張瑞敏氏は、顧客から寄せられた品質の問題に対して自ら抜き打ち調査を行い、社員を率いて76台の欠陥製品をハンマーで壊した。これによってハイアールの社員の品質意識が目覚めた。

 その後、ハイアールは高い品質と行き届いたサービスで顧客の信頼を勝ち取った。2003年、東京の銀座に、中国メーカーとして日本で初めてハイアールのネオン広告が点灯した。11年、ハイアールは三洋電機の日本と東南アジアの一部における白物家電産業を買収し、新たなブランド「AQUA」を打ち出した。嶗山区東海東路52号「氷山の角」にあるハイアールの世界家電博物館ではハイアールをはじめとする家電製品の歴史を紹介している。ここでは、臨場感あふれるインタラクティブな体験を通して、ハイアールが冷蔵庫で「財を成した」従来型の企業から、IoT(モノのインターネット)エコロジカルブランドへと変貌を遂げた過程をじかに感じることができる。


 青島は、「中国のセーリング・シティー」や「国連『映画の都』」など、多くのタイトルを得ている。この海辺の小さな漁村は、百年の変遷を経て、中国の国際的な都市となった。