歴史ある感謝の祭り

 

チベット族の青年、ツェリンドンドリ(才譲東智)さん(19)が観光客に

チベット仏教の重要な仏具であるマニ車(黄色い筒状のもの)について説明している。

仏教経典を筒に入れ、1度回すと経文を1回読んだことになる

 

  数千年来、チベット族の人々は「水や草を追って移動する」という遊牧生活を送ってきた。水が豊かなら草がよく育ち、それでウシやヒツジが肥え、それで衣食の心配がなくなるからだ。よって、水は善の源、不思議な物と見なされてきた。そのため、青海湖周辺のチベット族の人々にとって、青海湖は親しみ深くかつ神秘的な存在だ。水と草が豊富な青海湖をめぐっては、さまざまな美しい伝説が代々語り継がれてきた。

  青海湖は歴史上、一貫して聖なる湖と見なされ、歴代の統治者によって「祭海」という宗教政治行事が行われてきた。明代以前は、離れた場所で行う「遥祭」で、皇帝が都に祭壇を設けて、広い範囲に恵みをもたらしている名山や大河を祭って、賞与や謝礼を与えた。史料によると、唐の玄宗はかつて青海湖の神を「広潤公」と呼び、青海湖という称号を与え、正式に遥祭の神に加えた。清代になると、祭海の行事規模は大きくなり、徐々に制度化し、離れた場所ではなく湖の近くで祭海を行うようになった。民国時代には、宋子文(政治家、外交家)や馬歩芳(西北地区の軍閥)が前後して祭海の高官を担当した。新中国成立後、祭海の儀式は徐々に民間の活動に変わっていった。  
  現在、毎年旧暦7月15日が青海湖の1年に1度の「祭海」の日になっている。青海湖周辺の村では、僧侶が読経する場所として、村民たちが湖畔に高くて大きなテントを建てる。近くには高さ2ほどの「煨桑台」(供物を焼く聖壇)があり、その前には、村民たちが海神にささげるために準備した各種品物が積まれる。高く掲げられたタルチョ(五色の旗)が風にたなびいている。牧畜民たちは祭日の盛装に身を包み、カタ(白いスカーフ)やハダカムギ粉、バターなどの供物を手に持って祭りに参加する。祭海の行事はラマ僧たちのリズミカルな読経の声に乗って始まる。年配の僧が聖壇に上って松柏の枝に火をつけると、すぐにほら貝の音が上がり、爆竹が一斉に鳴らされ、激しい炎が立ち上った。参列者は経文や仏名を唱えながら時計回りに聖壇を回り、同時に聖壇に向かってカタや五穀入りの袋(ハダカムギ、小麦、エンドウ、トウモロコシ、ソラマメ)、白酒、菓子などの供物を投げ込む。このように、海神の恵みに感謝し、人々の健康、家畜の繁殖、天候の順調を祈るのは、民族宗教の特色を多く備えている。さらに、祭海の後には競馬や弓術、綱引き、レスリング、歌、踊りなどの催しがある。祭海は自然に対する崇拝であり、地元の人々が盛り上がる祭りでもあるのだ。