桑の木に蓮の花が咲く?

呉文欽=文

陳剣=写真

 数々の異国文化が、海上シルクロードを通って泉州にたどり着き、この地で花を咲かせた。また、泉州には、何千年も前から伝えられてきた「花」に関する地元の宗教伝説がある。これは泉州最大の仏教寺院である開元寺にまつわる話だ。

 開元寺は泉州の古くからの繁華街である西街に位置している。総面積は約8万平方㍍あり、唐の垂拱2(686)年から建設が始まり、10世紀あたりに今日のような姿になった。

 南宋時代の哲学者・朱熹は泉州を訪れた際、泉州の宗教の多様性を知って、「此地古称仏国、満街都是聖人(ここは昔から仏の国と呼ばれ、街行く人の中には聖人がたくさんいる)」と驚嘆の声をもらした。この言葉は後に弘一法師の手によって、開元寺の山門の対聯(門の両脇などに記された対句)に書き込まれた。

 大雄宝殿に続く石畳の道の両脇には、空高く伸びたガジュマルの木が大きな木陰を作っている。「花」にまつわる伝説は大雄宝殿の扁額にある「桑蓮法界」の4文字に凝縮されている。

 

開元寺の大雄宝殿

 開元寺は元々唐代の豪商・黄守恭の桑園だった。伝説によると、ある日黄守恭は法事を行う場所を造るために土地を求める僧侶の夢を見た。いつも親切で寛大な黄守恭だったが、桑園を手放したくなかった。そこで、「3日以内にここの桑の木に白い蓮の花が咲いたら、その時はこの土地をあなたに差し上げます」と言い訳した。そしてなんと、それから3日目、園内の桑の木々から雪のように白い蓮の花が咲き始めたではないか。この奇抜な光景に感動した黄守恭は、この土地を寺院建造のためにささげることにした。後にこの桑園は「桑蓮法界」と呼ばれ、建てられた寺院は「蓮花寺」と名付けられ、後に「開元寺」と改称された。現在、本堂の西側に残る千年の桑の木には、かつて蓮の花が咲いたという伝説がある。この伝説を後世の人が検証した結果、黄守恭は桑の木に生えたシロキクラゲを蓮の花と勘違いしたのではないかとの結論に至った。

 

開元寺で線香をあげる参拝客。大殿の後ろの石柱には、ヒンドゥー教の神話が刻まれている