素晴らしい退歩

南京郵電大学 迪婧

 

 

近頃読んだ本は原研哉の『デザインのデザイン』である。この本の著者は有名なデザイナー、無印良品の芸術総監原研哉先生である。「無印良品」は日本で有名な雑貨ブランドである。この本で説明されている「無印良品」のデザイン理念によって日本人の「退歩」に関する哲学が分かる。

「無印良品」のスタイルと設計理念とは質素、飾らないこと、モノの本質を還元すること、また自然と快適、そして地球にやさしいことである。その中に映された日本人の生活態度は、素朴なものを好むこと、簡潔だが品質のよい生活を求めること、環境に優しい生活態度である。これに基づき、素材の運用が十分であるか。物品の大きさ,重さ,包装が適切であるか、生産や輸送に不必要な無駄がないか、モノの生産、輸送から廃棄、回収までを再考し、自省する。このことから、日本人はよく自分の言行を反省する民族だと思う。

高度に発達した社会の中では「過度進歩、過度繁栄」の意味を常に省み続けている。だからこそ、日本人はそんな洗練された、シンプルなデザインをすることができるのだろうか。このような簡単な中に、人間性に対してもっと多くの配慮がある。デザインでは、日本人は誰よりも「空」の中身を理解している。「空」とは、不必要な外的刺激を排除して、人の魂をこの空間に入れて自分を感じる器である。中国の寺院の華麗さとは対照的に、日本の寺院は、ほとんどが素朴でシンプルである。多くの中国人は初めて日本の京都の銀閣寺で枯山水を見た時、とてもがっかりするという。中国人の観点から見れば、これはあまりにも粗末なものだからである。何度か見ると、「余白」の良さを感じるようになる。日本人デザイナーの作品はいつも禅のような静寂さをにじませている。彼らの自然への感得、生活への賛美は、いつも細かいところに小さな知恵を感じさせることができる。これは、日本の限られた土地、恵まれない資源や急速に増えた人口に関係しているかもしれない。日本人デザイナーは、日常的な生活の中で常に小さなアイデアを灯すことができるようになっているようである。また、彼らは「人」と「環境」をより重要な位置に置くことが多い。

原研哉の哲学とは、何だろうか? 私は彼の哲学は、冒頭に述べた「退歩」の哲学であると思う。アメリカの商業消費社会のスローガンは「私はこれがほしい」、「これ」は個人の意思に対する断固とした宣言である。しかし、「これ」の表現の意味は自意識が強すぎて、個性というものがむやみに高く評価され、周囲と衝突しがちがある。原研哉は「これでいい」ということを提唱している。「これでいい」というのは、品質が要求されていないのではなく、個人の欲望を抑えることである。一歩下がってより広い範囲を見渡す、より真の心の自由に近づくことである。「これでいい」は素晴らしい退歩であると思う。農夫が田植えをするように、自分の頭を低くしているからこそ、水田に映っている空がよく見える。後戻りしているからこそ、田植えを続けていける。それは生活についての「退歩」の哲学である。「退歩」は必ずしも消極的な態度と失敗ではなく、積極的な進歩と収穫である。同じように、写真を撮るとき、広角レンズをより独特かつ効果的にするためには、一歩下がってシーンがレンズに取り込まれるかどうかを見ることが必要である。時には、一歩後退するのは局部だけで、そうすれば私たちはずっと後退してすべての草花と木を撮影することができる。このような「退歩」は、人々をより遠くから明瞭に見られる。

人類社会は常に競争の社会であり、このような社会の中で、私たちは生きるために多くの挑戦に直面しなければならない。この本からこのような物欲に溢れた社会では、私たちも純粋な心境を保つべきことを学んだ。

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850