生まれて、すみません

何欣霖(湖北民族大学)

 

この言葉は太宰治の小説「二十世紀旗手」中の言葉です。近年、太宰治は中国でも流行っています。現代の若者の中で、「喪文化」(疲れやすく、退廃的なマイナスの心情)が広く共感をよんでいます。

無頼派の代表作家、太宰治が文壇に活躍したのは、第二次世界大戦後の混乱な時期です。人民はまだ戦争の恐慌から離れていません。そして、戦争がもたらした経済的な危機も直面しなければなりません。国民は終日、戦争と失業の怖さの中で生きています。こんな時代に、太宰治をはじめとする無頼派が生まれました。「人間失格」は太宰治の代表作と見られています。

 なお、「人間失格」は自伝的な記述で、彼が幼いころから彼なりに、自らの病と闘ってきたことや、道化から廃人になるまでの移り変わりを語って、繰り返し深く読み入ることができ、非常に印象深い小説です。主人公「葉蔵」は女中に侵され、親友に裏切られ、良子に傷つけられ、ついに地獄に落ち、人間としての資格を失いました。それは太宰の人生でもあります。太宰治は敏感で、他人の鈍感的な楽観が理解できません。つまり人間の偽りを見透かしたから、極度に人間を恐れています。彼はただ人々の望むとおりに適当に話し、「ひた隠しに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い」、小心翼々と生きていたんです。小さな幸せも期待しなくて、喜びより、痛みがずっと深いと思っているからです。その痛みは少しずつ彼の僅かな幸せを飲み込んでいたんです。残ったのは息が止まるぐらいの苦しみとわかってもらえない静かな絶望だけです

 信じられないかもしれませんが、時間と空間を超え、百年後の中国では、太宰治の作品はこんなに多くの人に共鳴を得ました。今、私達は当時の人々のように厳しい社会環境に生きていませんが、社会の発展につれて、無形のストレスがたまっています。そして、生活が豊かになり、人間はもっと自分の感想と心を重視してきました。「疲れた、無理だ、怖い、逃げたい、もう努力したくない」時々私も落胆して文句を言います。人間として誰でも心の奥底に弱いところがあるはずです。日本の文学者は独特の民族性により、そういう感情を敏感に洞察することができ、細かく書けます。したがって、個人的な感情を語る作品でも、多くの人たちに共感を呼んでいます。日本人に限らず、中国人、さらに世界の人々は同じように泣いたり、笑ったりします。太宰治の作品は中国で流行っているのは、多くの人が彼の心の奥底をのぞくことができ、胸に潜めたもう一人の自分と話しているからでしょう。

 太宰治のような天才の敏感と哀れは、凡人としての私が理解しがたいですが、私は社会に蔓延している悪意に負けてはならないと思いますそうして自分にも同様で、素直にありのままの自分を認めます。誰一人でも完璧な人間ではありません。でも、弱くて不完全だからこそ人間ではないでしょうか。

 作品の中で、最も印象的な言葉があります。「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした。」太宰治は醜い世間を見せただけでなく、人間の最も柔らかい優しさを教えてくれます。絶望の中で、何かの希望をみつけようとしています。彼は傷だらけでも、人生への名残が尽きません。毎回の自殺は自分との戦いです。自分より世界を愛していますから、陰気な自分を殺したいわけでしょう。そして、死ぬ前に太宰治は妻に「誰よりも愛している」という温かい言葉を残りました。彼は少し希望を持って、世間に求愛したことがあると思います。

ですから、人として、すまないと思わないでください。他人と違うところを恐れないで、精一杯愛する力を失わないで、正々堂々に生きてください。人を愛する前に、まず自分を愛するべきです。人間の優しさと強さを持って、暗闇の中で歩いても、いつか明るく未来を迎える信念を持ちましょう。

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