味わうべき「浪人精神」

駱思舟華東師範大学

 

 

この前、「ゆとりですがなにか」というドラマを見た。「みんな違ってみんな素敵」というゆとり教育を受けた若者たちが全くゆとりではない「優勝劣敗の社会」の中で一所懸命に頑張っている毎日を描いたドラマだった。その中に、マリブという登場人物がいた。妻子あり、仕事なしの11年目の浪人生活を送るマリブに私は驚いた。

浪人というのは、簡単に言えば受験に失敗し、次の試験の機会を待っている人だ。中国には浪人が少なくて悪いイメージとつながっているので、マリブを見て日本の浪人に興味をもった。「ゆとりですがなにか」だけでなく、子供の頃に見た「クレヨンしんちゃん」にも、三浪した母親のいとこが出てきた。高校三年生の大学入学試験直前に、先生が見せてくれた「ビリギャル」や「ドラゴン桜」の中にも浪人が出てきた。映画の中で志望校に合格できなかった人はほぼ全員浪人の道を選んでいる。

「試験を繰り返すマリブの人生はまるで時間が止まったているようだ」と思う私は、浪人になることをとても理解できなかった。中国では、「浪人になる」というと、「同級生の後輩になる」「当たり前の世界から離れる」などのイメージがある。それに、二回以上入学試験を受けたと聞けば、「平均水準にも及ばない」「頭が悪い」などのネガティブな評価につながる恐れがある。たとえどんなに優れた人材だとしても、浪人したことがあるなら絶対に期待されないといっても過言ではない。そのため、中国の浪人たちはほぼ全員浪人のことを恥ずかしく思っていて、人にばれないように隠している。そういう考えに縛られて浪人にならないように志望校を諦め、入れそうな大学に進学する人も少なくない。この前、似たようなことで迷っていた友人がいた。今の専攻より他に好きな専攻があり、二年間の勉強を経ても自分の専攻になじめない彼女は、真剣に転学部のことを考えていた。だが、何度も考えて、大学生活を6年間過ごさなければならないことを想像し、彼女は耐えられずに諦めたのだ。

しかし、日本人留学生達とのお喋りで、私の浪人に対する考えが変わった。彼らとは皆の課題を手伝うため、日ごろからいろいろなテーマをめぐって話し合っている。ある日、課題が終わって喋りながら食事にいくとき、グループの四人の中に二人、一年浪人をしてから今の学部に入った人がいることを知った。浪人のことにすごく興味を持っていたけれど、直接聞くと失礼だと思われるかなと思って、その場では何も言わなかった。その後、こっそりとウィチャットで浪人ではない女の子にメッセージを送った。すると「日本では普通だよ」と返事が返ってきた。彼女に言わせると、有名大学を目指している人にとっては、浪人になることは自然なことだ。逆に一年、二年頑張っていい大学に受かるということはすごく偉いと見られる場合もある。私が彼らに浪人のことを聞いたら、浪人経験を自慢してペラペラ喋るかもしれないという。そして、彼女から「仮面浪人」や「二浪」などの浪人に関するいくつかの言葉も教えてもらった。

彼女の話を聞いているうちに、中国ではどうして浪人が期待されていないのか、翻然と悟った。それが年齢が必要以上に重んじられているからである。中国人は、六歳で小学校、十一歳で中学校、十五歳で高校、十八歳で大學に入るべきだと考えている。そして二十代で結婚し、三十代で子供を作り……というように年齢を人生の評判基準にしている。ある年齢になった時に、その年齢相応のやるべきのことに達していないと、平均水準にも及ばない失敗者と見なされがちなのだ。「年齢基準」に遅れないように一所懸命に頑張ってきた人が多かった結果、いつの間にか年齢が重んじられ過ぎるようになったのではないか。そう考えると、目標のために何度も入学試験に挑戦する浪人たちが「無駄な事をしているだけだ」と思われて期待されていないのは当然だ。

私から言わせれば、年齢を重んじる社会には「自分の人生は自分のペースで活きる」という「浪人精神」のようなものが欠けている。一度きりの人生なのに、「年齢」に縛られ主体性を失って人生の魅力を味わえないのは本当に残念の極みだ。日常生活でも、人生の分かれ道でも、少し歩調を緩めることは必要である。自分が納得できるまで目指している目標のために必死に頑張って、失敗しても諦めない勇気は素敵である。枠にはまった、はめられた人生より、頑張った人生のほうが尊敬されるべきだと思う。

マリブのように、11浪人ではちょっと困ってしまうが。

ドラマ「ゆとりですがなにか」

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850