教育の本質は何か——『窓際のトットちゃん』を読んだ感想

李博涵 (上海初盟科技教育会社)

 

 

  電車の教室を見たことはあるか。海鮮料理を「海の味」、山菜料理を「山の味」と言うと聞いたことはあるか。むしろ、そもそもこういった学校はこの世に果たして存在しているのか。

  私は『窓際のトットちゃん』という本で、はじめてこのような奇妙な学校に出会った。

 トットちゃんは遊び好きな性格のために小学校一年生の時退学させられた。お母さんは途方にくれ、トットちゃんをトモエ学園に連れてきた。この独特な学校はトットちゃんを受け入れた。それに、トットちゃんは園長の小林先生と初めて会った時に、「他の大人とは違う」校長を気に入った。トットちゃんはトモエ学園でなんの憂いもなくすくすく育っていく。

  『窓際のトットちゃん』は黒柳徹子が昔の恩師、金子宗作先生を記念するために著したものである。「世界各国の何千万人もの読者に数えきれないほどの笑いと感動をもたらすだけでなく、現代教育の発展に新たな活力を注ぎ、20世紀で最も影響力のある作品の一つである」と評価された。「窓際族」は「窓際」の元となって、それは社会の規則に片隅に追いやられる傾向にある、と作者はこのように説明した。トットちゃん、すなわち子供の頃の黒柳徹子はそういった小学校で退学させられた問題児である。しかし、トットちゃんの成長過程で一体何が起きたのか、何をきっかけに「窓際」の子供から今の黒柳徹子になったのか。

  黒柳徹子は本の初めに「なくなった小林宗作先生へ」と書いた。実際に、金子宗作先生は園長小林先生の原型になった。トットちゃんが初めて校長先生と会った時、先生に好感を抱いたのは、彼女一人で四時間も喋ったのに、校長先生が微笑んで聞いてくれたからだ。 

  小林先生の教育方針は、その本にも書いたが、常に「どんな子も、生まれた時には、いい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな、周りの環境とか、大人たちの影響で、スポイルされてしまう。だから、早く、この『いい性質』を見つけて、それをのばしていき、個性のある人間にしていこう」というものであった。

  最後に、戦争で小林先生の一生の結晶「トモエ学園」が消えさられた。苦しんでいたが、小林先生はぼうぼうともえさかる烈火に包まれた学園を見ながら、「今度はどんな学校にするかい」と息子に言った。学校を創ること、良い学校を創ること、人のための教育は、小林先生が一生追求したことである。

  こういった偉大な教育者に感心しながら、教育の本質は何かが考えられた。

  80年前、小林宗作はもう答えを出していたのだろう。それはできるだけ子供の天性を解放する、子供を信じる、彼らの個性を尊重する、教育中に「真・善・美」を代々届ける、ということではないかと思う。窓際の「トットちゃん」たちはみな「黒柳徹子」になる可能性がある。教育者としてできるのは、その子達の本性を見つけることに力を入れることであろう。

 そして、ふと日本のアルバイト先のことが頭の中に浮かんできた。日本に留学した時、私は塾でアルバイトをした。そこで、幼稚園から中学校2年の英語の授業を担当させてもらった。帰国する前の最後の授業で、生徒に手紙をもらった。

  その夜、私はベッドに寝そべって思いを馳せた。

「先生、ありがとうございました」と何度も言われたが、この子達に何を教えたのかと考えた。残念ながら、その時私は『窓際のトットちゃん』にまだ出会っていなかった。その本を読みながら、常に塾でのことを思い出した。私は英語の知識だけを教えたのか。試験問題を解く方法だけを教えたのか。それに、私は生徒たちにちゃんと耳を傾けたか。自惚れすぎて、ついあの子達を素晴らしいと思って計画にはめたか。彼らのいい性質が私の影響で奪われてしまったのではないだろうか。

  私は以上のことが大事ではないと別に否定しているわけではないが、それより大事なことはないだろうか。

  私は今教育に関する仕事をしているが、まだ授業を担当させてもらったことはない。もし再び教壇に立つ日がくるなら、生徒を知り、言うことに耳を傾け、生徒の長所を見つけ、それを基に彼らに最適な成長方法を一緒に見出したい。短期間の成績より、自信や趣味や思考方法が大事ではないかと考えるからである。成績は、あくまでもそれらの副製品の一つではないかと思う。

  道は容易ではないが、なんでも初心を忘れないようにしたい。そして、いつか誰かの心に花を咲かせたらいいと思う。

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