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「松原」という都市の名前は、1992年から使われるようになったが、歴史上、この辺りは中国東北地方初の民族政権――夫余国の管轄地域だった。夫余国(「扶余」とも呼ばれる)は北方にあった古い国で、濊貊族の支族・夫余族の人によって建てられた。最初、濊と貊は異なる民族で、濊は南の方、貊は北の方に住んでいた。 |
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「井」の字の形をした町 |
松原市を出発し、西へ車を走らせて約1時間後、乾安県に到着した。「乾安」には、吉林省の北西が末長く安定するように、という願いが込められている。
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太古時代へタイムスリップ |
夜明け頃、乾安県の南西部にある大布蘇国家レベル自然保護区の管理員の孫乙鴻さん(39)はすでに作業服に着替えて、出掛けようとしていた。手には管理日誌があり、文字がぎっしりと書き込まれている。「これは私たち管理員の毎日の巡視路線です」
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