氷の下の宝物庫を開ける

 午前5時、張把頭は仲間たちと車で査干湖にやって来た。

 マイナス30度の中、がっちりと凍り付いた湖面。冷たい風が厚い冬服を通して、骨までしみてくるようだ。車を降りると、すぐに眉にまで霜がつく。しかし、長年冬捕に参加してきた漁師たちは、この寒さにもう慣れている。彼らは選んだ場所に着くと、さっと道具を取り出し、「ガッガッ」と氷の表面をうがち始めた。


 数時間後、固い氷の表面に、十数ごとに数百個の穴ができた。まるで針と糸で全ての穴をつなげるかのように、長さ2000の巨大な網が水の中に少しずつ沈められる。漁師に駆られた馬が、すり臼を回すようにウインチを引くことによって、重い漁網が水中で移動する。ひづめが氷のかけらを蹴り上げ、滑らかな湖面には馬の足跡が白く大きな輪となって残る。

 同地の人々は長きにわたる生産活動を経て、先人の経験を受け継ぎ、さらに地域的特色のある氷の下の漁労の方法を編み出し、査干湖の地形と水深に合った冬捕の道具を作り出した。現在、査干湖は中国の北方で唯一、原始的な漁労の方法で冬捕を行っている「漁猟の生きた化石」と呼ばれている。機械での漁労が広く普及している現在、このような原始的な方法は査干湖の環境保護にも役立っている。


 網を引き上げると、よく肥えたコクレンが尾を巻いて次々と跳ね上がり、漁師たちを喜ばせた。査干湖のコクレンは昔から有名だ。言い伝えによれば、遼の歴代皇帝は、このコクレンを主菜とし、他に査干湖の野生の魚数十種類を使って「全魚宴」を開き、大臣たちを招待したという。

 現在、引き上げられた魚は漁場の倉庫まで運ばれ、東北地方の厳しい寒さで自然に冷凍され、全国各地に運送される。ネット通販の隆盛に伴い、かつて皇帝の宴の主役だった査干湖のコクレンは、水揚げから48時間以内に、上海や広州など各地の消費者の食卓に到着するようになった。18年、中国ECサイト大手「天猫(Tmall)」で販売された査干湖産の鮮魚500万は即完売したという。

 「生活はどんどん良くなっています。昔、一番厳しかった頃は、査干湖の水面が50平方ほどまで縮小して、ほとんど魚が取れなかったんですよ」。過去のことを思い出し、感慨深げに語る張さん。1970年代、自然災害などの原因で水位が下がった査干湖は、枯れる寸前だった。「当時は松花江から水を引くために、県内の人々がみんな動き出しました」。官民挙げて8年間努力した結果、ついに松花江の水を査干湖に引き入れることに成功した。さらに、稚魚を放ち、湖に生気が戻った。


 「査干湖」はモンゴル語で「白い神聖な湖」という意味だ。現地の人々は彼らの聖なる湖を自分たちの方法で長い間守り続けてきた。一方、査干湖も毎冬、収穫の宴で彼らに恵みを与えてきた。重い漁網が漁師たちの希望を載せてまた氷の下の「宝物庫」へと沈んでいく。漁網を引く馬がウインチの周りを飛ぶように駆け出す。今年もまた、豊漁の年になりそうだ。


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