東北地方初の民族政権

 「松原」という都市の名前は、1992年から使われるようになったが、歴史上、この辺りは中国東北地方初の民族政権――夫余国の管轄地域だった。

 夫余国(「扶余」とも呼ばれる)は北方にあった古い国で、濊貊族の支族夫余族の人によって建てられた。最初、濊と貊は異なる民族で、濊は南の方、貊は北の方に住んでいた。地域的に近く、習俗や言語も似ていたため、両民族は絶えず歩み寄り、次第に濊貊族を形成した。その主な支族として、前述の夫余族が挙げられる。

 前漢(紀元前206~25年)の初期、嫩江と松花江の本流の左岸で暮らす槁離族(濊貊族に属する)に内乱が起こった。当時、部族の首長の庶子(庶出の子)東明がそのとばっちりを受け、ふるさとを離れ、最終的に松花江の右岸(今の松原市の北部地域)に落ち着いた。彼はそこの濊族を征服し、やがて夫余の国を作り上げた。夫余国は東北地方初の民族政権で、最も栄えた時期、その境域は半径2000里(当時、1里は約400)を超えていた。


 「扶余」はこの町の古い歴史を物語る代名詞であるだけでなく、今では松原市の東北部にある町の名前扶余市ともなっている。扶余市で発掘された遺跡と出土品のうち、最も有名なのは扶余市三岔河鎮の「石頭城子」古城遺跡だ。古城は長方形で、総面積は約23万平方82年に吉林省の第2回全国文化財全般調査が行われた際、調査隊が詳しく調べたところによると、この古城は遼代(907~1125年)に創建され、金代(1115~1234年)まで使われていた古い建築だという。はるか遠い時代の遺跡であるため、その東側と南側の城壁はすでに壊れてなくなり、壁の土台の名残りである土色の帯状の痕跡しか見られない。最も良く保存されているのが北側の城壁で、長さは約500ある。また、れんがのような建築材料のほか、磁器の茶わんや鉄鍋、各年代の数多くの銅貨など、古城の中からは豊富な文物が発掘され、遼金の時代の人々の生活を再現する生き生きとした材料となっている。









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