水路が巡る「屋外博物館」

 

独特な水郷結婚式のパフォーマンス。紹興安昌古鎮で毎年行われる臘月風情祭は

多くの観光客を引き付けている(写真・魯慧川)


 紹興に行くと、時間が逆に流れているような錯覚がする。

 紹興は江南の水郷にあり、水陸の交通が発達している。呉越が覇権争いをしていた頃は、「舟を車とし、かいを馬とし」て、水上での戦いが多く行われた。曲がりくねって流れる浙東運河、運河上の古繊道、古い石橋、それから水路が縦横に走る水街、あちこちに設置された水辺の舞台はどれも千年の物語を見つめ、語ってきた。

 杭州から運河を下ると、紹興古城に着く。運河は城西の迎恩門で枝分かれし、一本は町を突き抜けて流れ、一本は町の周囲を流れ、城内の細かい水路と共に古城の水上交通網を作り上げている。城東にある八字橋は南宋時代の創建で、その付近の旧市街や古繊道と共に「中国大運河」の構成資産である浙東運河の一部として世界文化遺産リストに登録されている。周囲には古い水辺の家屋が連なっており、現存する建築の多くは100年以上前に建てられたものだ。紹興にはこのような歴史街エリアが全部で8カ所ある。

 魯迅故里歴史街エリアは、水郷古城の典型的なたたずまいを保っており、魯迅が作中で描いた風情を味わい、当時の生活風景を感じられるリアルな場所だ。灰色の石畳の道の両側には、白い壁と黒い瓦が連なり、三味書屋や百草園、土谷祠、咸亨酒店が並び、一本の小川が魯迅の旧居の門の後ろから流れてくる。



三味書屋は、当時の紹興城内にあった有名な私塾で、魯迅はここで5年間学んだ。ここでは魯迅が使ったという机が見られる



1894年創業の咸亨酒店は、魯迅の小説『孔乙己』によって国内外に名を知られている。「咸亨」とは「皆が順調である」という意味(写真・王漢平/人民中国)


 魯迅は紹興で生まれ育った。ここは彼が生涯忘れられなかった故郷だ。彼の作品を読むと、紹興の濃厚な水郷風情を強く感じ取ることができる。黒いフェルトの帽子、半円形のとまで覆われた烏篷船(黒い小舟)、咸亨酒店の紹興酒とウイキョウ豆、それから非常ににぎやかな村芝居と紹興の年越しの風習「祝福」。「烏篷船に乗り、紹興酒を飲み、村芝居を見る」というのは、紹興でのみ体験できる楽しみだ。

 紹興の村芝居(社戯)には長い歴史があり、古くは南宋の頃の文献に記載がある。伝統的な祭日や廟会あるいは他の重要な民間行事の際には、必ず村芝居の上演があり、そのとき村の人々が親戚や友人を招いて、酒や料理でもてなして観劇することは、紹興の庶民に最も重要視されている民俗活動だ。村芝居の主な内容は紹劇や越劇、他のさまざまな紹興の地方劇。会場は寺廟や宗祠にある舞台で、最も紹興らしいのは魯迅も描いたことのある、川岸にある「水郷舞台」である。



水郷社戯の特色のある水舞台。人々は川岸に立ったり烏篷船に座ったりして観劇する(写真・陳暁)


 紹劇は300年以上の歴史があり、歌声はかん高く響いて激しく、演技は豪放かつ洒脱で、特に悟空劇に特徴があり、最もよく知られている演目は『孫悟空三打白骨精』で、毛沢東は当時観劇後に「金猴 奮起す 千鈞の棒、玉宇 澄清す 万里の埃」という名句を残した。この劇はさらに映画になって72の国と地域に配給され、孫悟空を演じたのは「南派猴王」といわれた六齢童だった。紹劇の公演はたいてい広場に舞台を造り、どらが天に響き渡る中、大勢の観客に向かって演じるため、極めてよく通る大きな声が必要だ。その声は気力にあふれ、四方を震わせる。魯迅はこれを「越人の復讐の声」と言い表した。



紹劇の代表的な演目『孫悟空三打白骨精』(写真・胡方華)


 越劇は100年以上前の紹興嵊州の農村の歌い語り演芸が起源で、後に上海で始まって、男性越劇から女性越劇への変化を経た。紹劇と異なり、越劇は叙情にたけ、歌がメインで、歌声はゆったりと澄んで美しく、非常に江南的なしとやかさがあり、このため広く伝わって、京劇に次いで中国で2番目に影響力を持つ地方劇になった。中国の観客の中には、越劇の『紅楼夢』の「天から降りて来た林妹妹」の歌詞を口ずさむことができる人も多い。そして、もう一つの代表的な演目といえば『梁山伯と祝英台』だ。二つの演目の代表的なバージョンで主演を務めた王文娟と袁雪芬はどちらも嵊州の農村の生まれで、二人とも国家レベルの無形文化遺産伝承者である。



嵊州施家岙村の古い舞台で上演された越劇。ここは女性越劇の発祥地だ(写真・陳暁)


 梁山伯と祝英台のラブストーリーは中国ではよく知られている。梁祝伝説において、祝英台の故郷はまさに紹興上虞の祝家荘にある。この伝説は1000年以上にわたって広く伝えられ、伝統劇や映画・ドラマ、音楽など多くの芸術形式で表現されてきた。1959年に作られたバイオリン協奏曲『梁祝』は中国で最も有名なバイオリン曲だ。作曲者の一人、何占豪は紹興諸曁の生まれ。子どもの頃から越劇が好きで、上海音楽学院在学中に民族音楽と西洋楽器の融合を試み、この作品を創作した。この曲は人々に深く愛されている。



越劇『梁祝』。才子佳人の代表的な舞台姿だ


 紹興は伝統劇のふるさとだ。独特の環境が、種類豊富で風格が異なる地方劇を育み、越劇や紹劇、蓮花落、平湖調など10種類の劇が前後して国家レベルの無形文化遺産リストに登録された。紹興酒をすすりながら、本場の蓮花落を口ずさむ。これこそ紹興人の趣がある楽しい生活だ。

 より多くの市民と観光客に多彩な紹興伝統文化を体験してもらうため、紹興市無形文化遺産保護センターは市内の各書店と協力して、各種民間芸能クラスや「越韻雅集」公演イベントを開催している。紹興古城西門の風情水街にある「無形文化遺産ホール」は、無形文化遺産の展示と体験クラスだけでなく、青磁や花彫酒、竹細工などの無形文化遺産製品があり、無形文化遺産活性化館になっている。紹興の古い町では、一皿のウイキョウ豆、一杯の茶、一節の情感に満ちた歌があれば、ゆったりとした午後の時間を過ごすことができる。



閑園書場での平湖調の上演。左は国家レベルの無形文化遺産伝承者・鄭関富さん、右は省レベルの無形文化遺産伝承者・彭秋紅さん(写真・朱江峰)


 紹興古城には有名人の旧居が多く、「紹興城里十万人、台門足足三千零」(紹興城内には10万人いて、屋敷は3000以上ある)と言われている。台門という紹興の特色が極めて強い建築には、紹興の一世代上の人々の記憶が蓄積され、語り継がれてきた民間伝承や奇聞・逸話が散りばめられている。西施の伝説、王羲之の物語、徐文長の物語、紹興師爺(師爺とは、清代の職種で、地位のある人物のそばで働く顧問のような立場の人)の物語……大人たちが生き生きと語ると、子どもたちは夢中になって聴く。70代の呉伝来さんは幼い頃から物語を聴くのが好きで、生涯をかけて物語を集め、語ってきた。徐文長は明代の才子で、詩・書画・演劇全てに精通しており、民間には、彼がずば抜けた知恵と能力で、弱きを助け強きをくじいた物語がたくさん伝わっている。呉さんは300余りの物語を集めたが、これらの物語は徐文長の子孫に代々伝わってきたものだ。彼は徐文長物語の無形文化遺産伝承者にもなっている。



魯迅の母方の祖母の家があった安橋頭村の新年の行事「祝福」。村民たちが皿に盛った供物をテーブルに置き、新年の生活に対する素晴らしい願いを託す


 数千年も連綿と続いてきた古越文明は、紹興の大地の上に大量の文化遺跡を残し、また多くの輝かしい無形文化遺産をつくった。紹興には、各レベルの文化財保護単位が418カ所あり、国家レベルの無形文化遺産の代表的なプロジェクトは24件、現在、無形文化遺産の代表的な伝承者は500人近くいる。