福州大学外国語学院日本語科2019級 楊潼頴
「どうして女の子は女の子らしくしなくちゃいけないの」。これは子供の頃からずっと抱いていた疑問だ。私は「女性」だが、子供の頃からスカートが嫌いで、バスケットボールに夢中だったので「男の子みたいだ」とよく言われてきた。だが、「可愛くて大人しい女の子」になりたかったわけではなく、よき妻に憧れているわけでもなかった。これを母に打ち明けると、「それは間違っている、子供っぽい考えだ」と言われたことを覚えている。
確かに、「女性が女性らしく」生きることもいい。しかし、「なぜ女性が、男性みたいに生きることを咎められるのだろうか」。私はずっと悩んでいた。そして、今まで様々な中国の文学作品を読み、教えも受けたが、その悩みは解消されなかった。
そんな中、日本の小説家・谷崎潤一郎の小説が私を救ってくれた。男性の譲治を翻弄し、服従させる少女ナオミを描いた『痴人の愛』。刺青を入れたことで、「臆病な心」を捨て、「剣のような瞳」を持った女性が、男性の刺青師を虜にする『刺青』。最初は、「反道徳的で、変態みたいだなぁ」と思っていたが、読み進めると、一般的な「女性らしさ」に束縛され、苦しんでいた私の気持ちが、一気に解放されていったのだ。それはまさに、「女性らしさという檻」から抜け出したようで、まさに「自由」と呼んでもいい読書経験だった。
こんなことを言うと、また「子供っぽい考え」と言われそうだ。だが、「男を翻弄する女性」という、一般的な通念から外れた女性に、自由を感じた私が子供なのだろうか。むしろ「女性は女性らしく」という規範に何の疑問も抱かず、従っている人々こそ、「無批判的な子供」ではないだろうか。谷崎の描く女性は、世間が期待する女性像から逸脱した奔放さを持ち、「無垢で貞操のある女性」という枠組みを超え、自分の欲望に忠実に生きている。しかし、そうした女性の生き方は悪いものだろうか。いや、そうではない。彼女たちは自分に正直に生きているだけなのだ。こう見ると、女性である私も、既存の価値観における「女性らしい女性」ではなく、「自分に正直に生きる女性」でありたいと思うのだ。もちろん、女性だけではない。男性も自分に正直に生きれば、男らしくなくてもいいのだ。
谷崎の作品は、時に社会が要求する「らしさ」を超えてでも、自分の欲望に正直に生きる女性や人々を描いていると思う。それは私だけでなく、「らしさ」に縛られ苦しむ人々を解放する力をもっている。日本でも中国でも、生き方を巡って苦しむ人々が多い現在、谷崎の作品は、自分に正直に、自由に生きる大切さを教えてくれるのであり、それは今の社会にこそ必要な考えなのだ。
だからこそ、もし今後「どうして女の子は女の子らしくしなくちゃいけないの」と聞かれたら、私は自信をもってこう答えたい。「「らしく」じゃなくて、自分に正直に、自由に生きていけばそれでいい」と。