色の違う花

惠州学院外国学院大学三年 

 

  一面同じ色の花の中に、違う色の花が咲いていたら、みんなは珍しがって「きれいだな」と感心するだろう。だが、これは人間界には起こらないことで、人と違う振る舞いをすれば、異様な目で見られる。そんな人は、自分が病気だと思ってしまうのではないだろうか。

幼稚園の頃、友達の自転車が盗まれないように、仲間と一緒に見張ったことがある。他の仲間はみんな、1時間くらい経つと帰ってしまった。しかし、私だけはそこに残った。一度始めたことはやり遂げねばならない。だが、みんなは私のことを変だと思っていた。それで私も自分が変だと思うようになった。

17.3 about a sex』というドラマの登場人物、女子高校生の原紬は、ある日幼馴染みの康太にキスされる。すると紬は気持ち悪くなって吐き出してしまう。キスされただけで吐き出すほど気分が悪くなるのは変だと思って、紬はインターネットや図書館で資料を調べ、生物学教師城山先生にも聞いてみた。結果、自分がアセクシャルであることを知った。

 他者に対して性的欲求や恋愛感情を抱かないのは病気だ。紬はそう心配になった。しかし、なぜ彼女は病気だと思ったのだろう?社会には大多数の人間によって形成される社会規範があり、その規範の外にいる人間は異質な存在と考えられてしまう。自転車を見張り続けた私のように、他人から「病気なんじゃないのか」と笑われるだけで、当人も自分が病気だと思うようになってしまう。

  自然界では、いろいろな色の花が咲いていることは当然で、人間の中にも、他の人とは違う振る舞いをする人がいる。ここで問題なのは、これらの「違う」人々を、社会では他の花と同じ色に染めようとしたり、それができない場合には彼らを遠ざけようとしたりすることだ。

  中国では、原紬のような性自認や性的指向が一般の人と異なる人は、幼い頃から白い目で見られたり、いじめを受けたりして、社会に受け入れられない。親にも受け入れてもらえず、逆に治療を強要されるようになる。さらには、彼らを「普通の人」にするために、身体の自由を奪い、電気ショックや殴打、言葉の暴力などの「治療」も行われる。その結果、重度のうつ病や不安障害を起こし、自殺してしまう人もいる。

  調べてみると、日本にはこのような人々をサポートする人々がいて、「人と違っていてもいいんだ」という考え方が少しずつ広まってきているらしい。

みんなが同じ色の花なら、この世界はつまらないモノトーンの世界になってしまうだろう。人が人に対して悪口を言ったり、暴力を振るったりするその背景には、「違い」への恐怖があるのだと思う。この状況を変えるには、まず人間に対するステレオタイプを取り除く必要がある、性欲があろうとなかろうと、人は人だ。ステレオタイプを超えて、「違い」を再認識し受け入れるべきだ。

  いつか中国でも日本でも、これらの違う色の花が、太陽の下で思う存分咲けるようになることを願っている。

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