愛だけで生きていける

南京郵電大学日本語三年生  李沁陽

 

『万引き家族』という映画の中で、家族全員は題名の通り、万引きをして生活を送っている。しかし、家族とは言うものの、全く赤の他人同士で構成されているのである。みんなはそれぞれの理由があって元の家を出ていき、運命的な出会いによって、ひとつ屋根の下で暮らしていくことになった。

この映画を見てから、私は「家族とは何か」、「正義とは何か」という二つの問題をめぐってずっと考えている。家族とは単に血の繋がった人だけを指すものなのか。世間から間違っていると思われていることをするのは正義ではないのか。私はこの答えを探し始めた。

何事にも二面性があると私は考える。親に見捨てられた子供、あるいは一人暮らしをしているお年寄りにとっては、むしろ愛情を与えてくれる見知らぬ人と共に過ごすほうが、本当の家族よりも家族らしい生活ができるかもしれない。人と人の絆は、常に血ではなく、愛によって結ばれているのだ。それは、「結婚」という行為からも明らかである。恋愛結婚の場合、もともと全然知らなかった二人が、偶然出会って愛し合い、結婚して家族になる。そして、子どもが生まれて生物学上の意味での家族ができる。だからこそ、「家族」の始まりは血縁によるものではなく、愛なのだと言えるのである。

そして、私は法律を超えたところに正義が存在すると確信している。そもそも法律は、人間が作ったものである。しかし、法律は往々にして事件の一面だけを考慮に入れて、その良し悪しを判断する傾向にある。では一体正義とは何なのか。例えば、事件の全貌と、なぜそうなったのかが分かった時、世間一般には犯罪と思われていた行為が正義だったと判断することがあるかもしれない。その時、法律イコール正義とは言えなくなる。

法律だけでなく、我々も物事の一面だけを見て判断することが多い。だから、ある事を簡単に決めつけてしまう。映画の中で、息子は実の親によって車の中に取り残され、危うく死にかけた。彼を過去の生活から救い出すことは犯罪なのか。新しい家に連れていく人は誘拐犯と言えるのか。法律的にみれば、それは犯罪行為であると判断される。しかし、彼は仮の家で愛してくれる両親、心配してくれるおばあさん、面倒を見てくれる姉と一緒に暮らしている。血は繋がっていなくても、そこには確かに家族愛が存在しているのだ。仮の親が男の子を救ったのは間違いない事実である。結局、正義とは何だろうか。これは映画を制作した監督が公衆に投げかけた問いではないだろうか。

この映画の中で、私が一番印象に残ったのは、おばあさんが家族の後ろ姿を見てつぶやいた無声の「みんな、ありがとう」という言葉だ。この家族愛は結局声に出さなかったが、誰もが心の中で感じ取っている。家庭や社会から見放された人でも、心に愛さえあれば生きていけると私は思った。

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