大連大学日本言語文化学院大学院1年生 劉麗満

四月のある日、まださわやかな春の日だった。少し退屈で、時間つぶしのためにこの本―『恍惚の人』―を開いた。本を読む前に、こんな重い主題とは思わなかったが、この本は今まで真剣に死亡と老化を考えたことがない私に大きな刺激を与えてくれた。
この本は戦後日本の立花の一家が「老化」に直面する生活を描いた。夫婦共稼ぎで、妻の昭子は働きながら家事をし、姑が突然なくなった後、舅の茂造の介護にも忙殺される。夫の信利は認知症の父に責任を取るどころか、父のことと自分も老けていることを拒否している。姑の急逝と舅の認知症に直面した一家の狼狽から普段お年寄りを心配に入れなかったことがわかる。始めて「老化」を知るように、信利と昭子の心が乱れた。老いた自分の様子を想像したくない。老化も受け入れない。息子は若い内に死と老化を知り、両親にこんなに長生きしないでほしいと言った。皮肉にも、息子は立花夫婦と同じに、老化の両親を受け入れたくない。息子の態度は二人の心配を一層深めた。茂造の状況を見ると、三十年、四十年の後には、同じ災難が自身にも襲い掛かってくることを心配した。立花夫婦にとって、老いは死よりずっと残酷だ。老化に直面した二人は、期せずして相手が死んだら、自殺しようと考えた。死より老化が一番怖くなってしまう。
日本だけではなく、中国も老齢化が深刻になりつつある。ネットで「老化」というキーワードで検索すると老化でイライラする投稿が多い。立花夫婦と同じように、今多くの人は「老化」を怖がっている。そして、美容、整形などが流行ってくる。しかし、老化は防げるが、止められないものだ。誰でも老いを迎えざるを得ないが、認知症になるとは限らない。まして社会の発展と伴い、医療技術が開発していき、認知症などの病気の予防はますます可能となる。また、経済の発展と教育の普及につれて、未来はお年寄りへの包容力が強くなり、お年寄りが穏やかに生活できる社会になれる。未来を展望するのは重要だが、最も重要なのは未来ではなく、現在なのだ。いつも未来のことに惑ったら、目の前の物事をなおざりにしがちだ。昭子は舅を長く生かせなかったことに悔しんでいる。失ってから物事の大切さがわかるのも遅きに失する。限りある命の中で私たちは悔いのない一生ができないが、この一生をむだにしないことができる。老化を怖がらず、今を生きるこそ、本当の人生を味わうことができると私は信じている。