「ありがとう」を形に

上海市甘泉外国語中学校高校三年生 万美奈

 

2018年に、私に特別な思いをさせてくれたドラマがありました。それは「unnatural」というドラマでした。このドラマのおかげで、中学三年生の私は初めてアニメ以外の世界に目を向け、現実社会における人間関係を深く考えるようになりました。「現実は本当に残酷だなあ」と思いました。

見てから三年も経ちましたが、あるシーンがどうしても忘れられません。自宅で深夜までパーティーを開いている社長が、勤務時間外だと知りながらも、社員の佐野にケーキを届けるように依頼しました。無茶な要求であるにもかかわらず、佐野氏は社長に逆らえず、言われたとおりにケーキを社長の自宅まで届けました。しかし、彼を待っていたのは「何でこんなに遅いんだ。」という一言だけでした。帰る途中、佐野氏は過労で道端に倒れ、その瞬間、社長の家から花火が次つぎと夜空に打ち上げられ、花火の輝きが彼の瞳に映りました。

中学三年生の私は、ただ社長の無礼に対する憤りの気持ちで胸がいっぱいになりました。もし「こんな遅くに届けてくれてありがとう」という一言があったら、佐野氏は違う気持ちで花火を見上げられたのではないかと。

しかし、今高校三年生になった私はこのシーンから違ったものを感じました。多くの場面で感謝の気持ちを伝えていないことに気づいたのです。仕事で疲れていても夜遅く勉強に付き合ってくれる母に言い忘れていました。勉強に厳しいが、いつも励ましてくれている父に言い忘れていました。自分の子供であるように優しく接してくれている先生たちに言い忘れていました。出前の配達員に、私たちの生活を守ってくれている人たちにも言い忘れてました。。

私にとって、「ありがとう」というのは元々感謝の気持ちに伴って、自然に口に出てくる言葉でした。しかし、いつの間にか、私たちは「ありがとう」をただ心にとどめておくようになってしまいました。それは、周りの親しい人たちの優しさを当たり前だと思い、配達員のような人が仕事にかけてきた労力と時間を当然だと思い、「ありがとう」が言えなくなってしまったからでしょう。

しかし、心にとどめている感謝は単なる「片思い」で、それを必ず口に出して「形」にしなければなりません。相手に知ってもらわないと、感謝は完結しません。例えいつも傍にいてくれる親に対してでも、声にして感謝を表すことは欠かせません。もちろん、この「ありがとう」という一言だけで、人たちの疲れを取ることはできないかもしれませんが、心を癒してあげることはできます。そして、彼らにやりがいを感じさせることもできます。

日常生活で言いそびれた「ありがとう」、場にとらわれて言いにくかった「ありがとう」、どちらも、相手にとって大切な一言になるかもしれません。これから私は言えなかった「ありがとう」を周りの人に、丁寧に言っていこうと思います。

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