生と死の物語『おくりびと』

吉林財経大学外国語学院日本語学部4 葛旭輝

 

最近、私は余暇を利用してたくさんの映画を見た。その中で、最も印象深かったのは『おくりびと』という日本映画で、その名の通り、納棺師についての物語だ。

主人公はプロのチェロリストで東京のオーケストラ所属の小林大悟という人物だ。ある日、楽団が突然解散し、失職してしまった大悟は自分の音楽の夢を諦め、妻の美香と山形県の田舎へ帰る。大悟は遺体を棺に納める「納棺師」という仕事を得て、うれしがる反面、この特殊な仕事に少々困惑する。妻に内緒で働くつもりだったのだが、すぐに気づかれ、受け入れられない妻は実家に戻ってしまう。しかし、大悟は妻や周囲の人々が、たとえ自分を理解してくれなくても、自分が選んだ道を歩み続けるという固い意志を貫こうとするのだった。

物語のクライマックスで父親の死を知った大悟は妻と葬儀に赴き、彼自身が父を納棺し、父を人生の最後の道に送り出す。その細やかで心がこもった仕事ぶりに妻や周囲は少しずつ理解を示すようになっていく。この場面に私は涙が止まらなかった。同時に、納棺師という職業にどんどん惹かれ、尊敬の念がうまれた。納棺師は「汚れた職業」ではなく、死者の身支度を整え見送る、あの世のドアを開くお手伝いをする気高い職業だと思う。しかし、大悟が「汚らわしい」という言葉を投げつけられるシーンもあるかと思えば、周囲の人が納棺師である大悟を見下げるシーンもある。これは、「死」を不吉なものとする思想が強く残っているからかもしれない。確かに、多くの死は不幸、また、血や暴力の結果として表現され、人々に負の印象を与える。だから、死と接する納棺師という職業も偏見をもたれるに違いない。もちろん、私自身も例外ではなかった。好んで身内でもない死者と関わろうとする者がいるだろうか。この映画を見て、私は死について考えを改めることになった。私は「死は終わりではなくて、死をくぐり抜けて次へ向かう、まさに門です」というセリフが忘れられない。この世の中には、死を直視できる人もいれば、できない人もいる。しかしながら、生と死は人間の常態であり、死は人生の中のにあるドアの一つにすぎないのである。人は死んだら消えるわけではない。枯れ葉は土にかえり、翌年にまたかぐわしい花を育むように、人は誰しもがお互いに繋がっている。死者は「門」をくぐり、新たな旅を始めると言ってもよいだろう。彼らは見送る者に無限の追慕を残し、心の中に永遠に存在し続ける。

納棺師はすべての死者が美しい姿で死の門をくぐるのを助けながら、一人ひとりの魂を心に刻み、門番のように別れを告げる仕事なのだ。儀礼としてだけではなく、「生と死はつながっている」という死生観と死者の尊厳を守り、死者と現世をつなぐ大切な存在だ。『おくりびと』は私に生と死について考えさせ、納棺師という陰の偉大な職業を教えてくれた。

 

(映画『おくりびと』)

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