『山月記』を読んで、自分と和解する

上海市甘泉外国語中学  蔡雨辰 

読書とは、偉大な魂と対話することだと思っています。冷たい、傲慢、自惚れ、自怜の心を、読書という斧で割ります。人生の前路に迷った年に、私は『山月記』という本に出会って、「自分」について考えました。 

『山月記』は日本の「物悲し三書」の一つで日本の小説家中島敦が書いた短編小説です。中島敦の小説は中国の歴史をよく取材していて、簡単な歴史叙述ではなく、作者がの人生や存在に対する考えを書いています。 

唐代の才子である李徴が若い時に科挙の試験で優秀な成績を収めますが、官界で志を得られません。それでも、彼は凡人と伍する気が進みません。その後、李徴がは強い自尊心と劣等感の中で、人格がだんだんねじ曲がって、最終的に人間性を喪失して1匹の狂暴な猛虎になるという話です。 

この本を読んでいるうちに、深い感動を受けた一言があります。「己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。」この段落をり返して読んでみると、自分のことが頭に浮かびました。 

高校に入ったばかりの時から、私はずっと自分に厳しく要求して、自分に他人よりも高い期待を持っていました。その時、私はある翻訳コンテストに参加しました。何度も先生に教えてもらって、先生の提案にしたがって、絶えず翻訳原稿を修正しました。しかしいくら努力してみたところで、努力は実りませんでした。最後は残念賞しか取れませんでした。自尊心の強い私はこの結果を見て、自分がに本当に才能があるかどうか疑っていました。最初から何も気にしないで、自分の凡庸無為を受け入れた人より、大きな努力をしたが失敗を受け入れなければならないほうがずっと辛いと思っていました。 

ですから、『山月記』を読んでいるうちに、李徴という人物に共感しました。彼は自分に才能があって、普通の人と違うと思い込みながらも、それと同時にまた自分に自信がなくて十分に努力したがらなかったです。 

私は自分の才能不足がばれることにを恐れているから、必死に頑張ってきたのです。この本を読んでから、自尊心と羞恥心に縛られないようにしてみました。そのため、いくつかのことについての選択とやり方には違いが出てきました。 

自分と和解しましょう。才能を持つこと自体は特別な光栄であり、最も感謝すべきことです。謙虚に直面する必要があります。その次に、努力の意義は経験を積むことです。多くの才能を蓄積した後で、ある程度収穫できます。成功を望むのは当たり前ですが、結果を期待しすぎてはいけません。いつでも自分を受け入れることをマスターして、もし天才になれなければ、広くておおらかで、努力して向上する普通の人になるのもいい選択です。 

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