『舟を編む』———人生という大海原を越える

南京師範大学

 

ふと、本棚の上に置いてある辞書を見やった。このような辞書を一冊作るにはどのくらいの苦労が必要になるのだろうか、今まで考えたことはなかった。辞書の編纂に関しても、深く考えたことは一度もなかった。 辞書作りの大変さに気づいたきっかけは『舟を編む』という三浦しをんの小説を読んだことである。この小説は、辞書の編纂という仕事に携わる人々の努力や悩みを描いており、デリカシーに富んだ物語である。劇的なシーンは滅多に見られなかったが、読み終わってから、醍醐味を十分に味わえたような気がした。 言葉の意味は、時とともに変わっていくものだ。例えば「やばい」という言葉は、昔は危ないという意味で使われていたが、今ではすばらしいや最高などの意味も付けられるようになってきた。今日の若者の間では、後者の意としてよく使われている。 

また「恋」という言葉を辞書で調べてみると、「特定の異性に強く惹かれ、会いたい、一緒になりたいと思う気持ち」という意味で記載されている。しかし、同性を恋い慕う人たちは以上のような項目を読んだらどう思うのだろう。自分の相手を思う気持ちは、恋ではなかったら、いったい何と呼ぶのだろうか。同性を好きになった自分はおかしく思うようになるのだろう。そのため、主人公馬締は上の項目に書いてある「異性」を「他者」に書き変えたのだ。見落としがちなことによく気づいたことから、編纂者としての真面目さや慎重さが読み取られたのだ。 

辞書の編纂者たちは、常に言葉の変化に向かい、限られた字数で、納得できる答えを探そうとしている。好きであるだけで、つまらなくて辛い仕事に熱中している馬締のように人に本当に感心した。そして、そんな価値のある仕事に巡り合えることも羨ましく思っている。 

主人公の姿を思い浮かべながら、今までの自分は、馬締のように真剣になにかに向き合ったことがあったのだろうかと考えてみた。私は飽きっぽい性格だが、日本語を勉強する時しか、真剣に向き合うことはなく、日本語の世界に溶け込んで、楽しんでいるのである。 一つの言葉には意味が一つだけではないように、正しい答えも唯一ではないとは言えるだろう。辞書の編纂を完成したことは終わりではなく、そこからまた次の考えに専念すべきだと思っている。考え続けるからこそ、価値のある人生になれるだろう。 それゆえ、私もこれから、考えをやめずに日本語に取り組んでいこうと思っている。母語で伝えきれない自分の思いを日本語という形で伝え、人生に趣を添えていきたい。その上、自分なりの考えに基づいた「舟」に乗って、人生という大海原を越えていきたいものだ。 

 

 

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